又しても大変遅くなって申し訳ありません半月後くらいにはアップする予定でしたが、仕事の関係上予定より半月遅れのアップとなってしまいました、ご容赦ください。12月21日
2009年・JFKクラブジャパンのオフ会が10年目の区切りの年を迎えました。1999年11月ダラスオフ会が開催されて10年、2001年に一度空白の年がありましたが今回で通算10回目のオフ会と言う事になります。
今回もまた土田先生の貴重なお話をお聞きできたすばらしいオフ会となりました。報告書をアップして、皆様にも共有して頂きたいと思います。

 10年目の秋
今から10年前の11月21日サンケイ新聞社との共催と言う形で我がJFKクラブの記念すべき第一回オフ会が開催されました。その時から毎年国内、ダラスと各地でオフ会を開催して参りました。特に国内においては、東京と三島と言った偏った場所でしか開催できなかったのですが、2005年にナッキーさんのご努力によって「名古屋」開催が実現したのでした。「こうなると、今度は大阪かな?」などと思って名古屋の二次会では「次回は大阪で!」などと口走っていたのですが、やはり「夢のまた夢」とあきらめて4年の月日が流れていました。そんな2008年「没後45周年」のダラスオフ会が開かれ、その感想文の中でロックフォードさんが「来年は何か企てています」との一文がありました。「何を考えているのやら」と思っていた2009年の2月半ば、ロックさんから「今年のオフ会は大阪でと言う事に決定しました、土田先生のご了解もすでに頂いておりますし、現地のコーディネイトは和田さんが引き受けて下さいました。開催日は11月21日と言う事で・・よろしく!」  ムムム・・こちらの予定も聞きもせず、ほんとに大丈夫なんかいナ、うれしいな。
突然の大阪オフ会の開催決定の瞬間でした。確かに関東方面ばかりで開催していたら全国に広がる?ケネディファンの皆様には申し訳なく、関西・九州、はては北海道の皆様にもオフ会の楽しみを味わって頂きたい気持ちでいっぱいなのですが何と言っても、お金のかかる事、まさか参加費2万円などと言う訳にもいかず。費用と参加者数とのにらめっこが始まりました。会費を通常のオフ会並みに抑えると、どうしても参加人員は最低でも13名は確保しなければなりません。まっいいか!又しても「どうにかなる精神」でスタートしたのです。
 ギリギリセーフ

和田さんとの各種打ち合わせが始まりました。名古屋同様、土地勘も皆無ですし、ましてや会場のあてなど全くなし!和田さんにおんぶに抱っこの準備作業です。経費節約のため今回も公的施設限定、早速「生涯学習センター」と言う事に決定しました。「梅田」にありますから交通の便は良いのでいいと思います、との話ですが梅田の名前は聞いた事はありますが・・・まっお任せします!
14名の参加者目標で予算立て。チョット早いかなと思いましたが8月には募集のバナーをアップ。関西地区の皆さんにアピールすべく「ドでか」バナーになってしまいましたが期待をこめて発表したのです。早速、誰かさんは前回の汚名?を挽回すべく一番乗りで参加表明、ご本人には解りますよネ、9月に入って小森さん、佐野さんの初参加組からの参加表明。小森さんは大阪八尾市の方、ところが佐野さんは横浜の住所になっています、横浜から初参加はチョット意外でしたが久しぶりの女性参加でウキウキ。9月半ばには常連組みの参加表明が続々と入ってきました(これにはチョッピリ事情があるのですがここでは伏せておきます)その中には浜松の松平さんのお名前も、確か2004年の三島オフ会以来のはずです、うれしい限りです。ところが、11月の声を聞いても参加者12名でストップしたまま、今回は連休初日と言う事で、名古屋の時のように車で行って予算の足しに、とはいきません、こんな日に大阪まで車でいったらどうなる事やら!2006年の誰かさん達の轍は踏みたくありませんので。ホホホ     11月も半ばを過ぎ今回は12名止まりか、と腹をくくっていたところに参加メール、西宮の大倉さんからの参加表明です。関西からの参加表明が今回は一番うれしい話、2名の関西からの初参加組みを得て大阪で開催の意味が出てきた感じです。これで何とか最低限の13名は確保、ギリギリセーフといったところでしょうか。日付は20日、22日の夜にならないと帰宅しない、すると、トップページの周年記念日へのカウントダウン表示がマイナスになってしまうと思い、トップページのカウントダウンスクリプトを書き換えました、そのとき正に「まがさした」と言うべきなのでしょう、明日は実施日なのでもう募集バナーは不要と思い「募集バナー」を削除したのでした。この時にはこの削除が大問題に発展しようとは思いもしなかったのでした。
 大阪へ

いよいよ当日!朝、メールチェックをしたら、佐野さん、大倉さんからメールが入っている、ムム急遽不参加などと言ってきたのか知らん?などと恐る恐る開いてみると、お二人とも「会場はどこ?と言ってきている、確認しようとページを見たら、すでに削除されていて、確認できません」との事、それも、お二人共そろって「第三ビル」との記憶はあるのですが!」との内容、第三じゃなくて第二じゃ!と早速詳しい住所資料を発信、こういう時、メールって不便ですよね、開封確認は添付したけれど、電話だったら安心できるのに、勿論電話番号は知らない!祈るような気持ちでした。すぐに佐野さんからは確認の返信「そうじゃ佐野さんのメルアドは携帯電話アドレスじゃったな!大倉さんからは返信がなかったけれど、文面に「20階の会場をくまなく探します」と書いてあったけれど「第三ビル」をくまなく探してもナ?チョッピリ不安な旅立ちとなってしまいました。大阪には12時少し過ぎに到着すればOKと思い、時刻表を検索したら「こだま」で行くのと「ひかり」で行くのでは丁度一時間違う、幸い大阪に12時17分着の「ひかり」が三島に止まるのをこれ幸いに「ひかり」で行く事にしたのです。駅に向かう途中に「三島大社」があるのですが、社前にぬかずいて?「今回のオフ会では、不幸なアクシデントは起こりませんように」と厄払い祈願をしていきました。本当に過去のオフ会では色々ありましたので真剣な祈りでした。さて、列車到着。入線して来る「ひかり号」外から見て「アチャー!」寿司詰めの満員電車、後悔先に立たず!「立たず」じゃなくて「立った」まま名古屋までの旅。一時間をけちった代償にしてはちょっと高いと思う旅になってしまいました。疲れた体で大阪到着、地図は頭に入れてきたつもりで「すたすた」歩き出したまでは良かったのですが決着、結構な大回りをして第二ビルに。 「第一、第二、第三、第四」と、ビルの名前が続く。もうチョットましな名前の付け方があるじゃん、大阪人は安直な性格なのかしらん?などとあらぬ所へ不満をぶつけて、やっと到着、鈴木君が先着していてビルの入り口で再会の挨拶ができました。東京組みはすでに到着済みで、ホテルにチェックインに行っているとの事、皆の到着を待って会場に進みました。会議室の入り口には「JFKクラブジャパン大阪オフ会」との看板、やはり土地柄なのでしょうか公的機関の会場でもハングル表記もされておりました。そんな時、和田さんから「今朝、小森さんからメールがあり、場所を確認しようとページを開いたら削除されていましたとの事。一応返信しておきましたが、読んでくれたかどうか?」ここでも詳細ページの削除が問題になってしまいました。堀口さんからも「私は東京組みのグループと一緒だったので問題はなかったのですが、ページが削除されていたのはちょっとびっくりしちゃいました」とのお話!ウーーム、ミステイクじゃ!決着、このページ削除の失敗により、小森さんが最終的にお見えにならず!大変申し訳ない事をしてしまった思いで一杯です、不安だった大倉さんは無事到着。次回からはページ削除は会が終わってからにしようと思います!
 勉強会
左から中出・小澤・植田の各氏
左から松平・佐野・中北の各氏
堀口氏と土田先生
左から鈴木・大倉の各氏
いよいよ、オフ会の開催です、私の話と土田先生のお話でスタートします。そうそう会場入り口でお会いした時の和田さんのいでたちは、まるで一週間以上の海外旅行にでも行くような「大荷物」。会場に入って荷物を解くと、プロジェクターやらパソコン、コード類等など、出てくるは出てくるは!「会場で借りる事のできるプロジェクターは、大時代的なもので、びっくりするほどドでかい代物「心配で持参してしまいました」本当にご苦労様でした。
さて、小生の話は、ページにもアップした「ベルリンの旅・報告」 私の心のなかには、ベルリンでの感動の気持ちははっきりと記憶されていますので色々お話させて頂きました。話しながらも、あのシェーネブルグの感動が蘇ってきて話にも熱が入っている事がよく解りました、他人の旅行の話など聞いても面白くもなんとも無いとは思うのですが、事ケネディの関連場所の報告のためか、皆さんも真剣に聞いてくれている!と思う、多分、どうかな?話の後は、ベルリンの「ミュージアム・ケネディ」で購入してきたDVDの放映、「ケネディ・イン・ベルリン」と題したDVDですが、全部やったら二時間くらいの代物ですので、今回は「ベルリン演説」の部分のみの放映です
講話中の土田先生
無難に出来た私
。想像ですが、ベルリン演説を聞いたことのある方はそれこそ大勢いらっしゃるでしょうが「完全ノーカット」を見聞きした事のある方はそうザラには居ないでしょう。本来なら、ケネディの登場から、退場まで。前座(失礼)のアデナウワー演説、おまけ(これまた失礼)のブラント演説、全部を聞いて頂いても良かったのですが、何せこちらはドイツ語で話しているし、英語の通訳もなし(当たり前ですが!)ですので早送りでカット、ケネディの演説部分だけを聞いて頂きました。加えて、ノーベル平和賞などで今が旬の「オバマ・プラハ演説」の重要部分をおまけとして聞いて頂きました。名古屋の時には「超緊張状態」で支離滅裂となってしまいましたが、まっ今回は無難にこなせてたと思います。たぶん?
ここで少しの休憩をはさんで土田先生のお話です。

内容は「チピット巡査殺害の謎」です。つかみのお話には先生が最近ご出演になったNHK・BShiの番組製作の内幕話、内容に関しては先生のお言葉にあったように「関係者の方」が見る可能性がありますので「省略」です。さて本題はチピット殺害の目撃者達の証言内容の矛盾点や逃走するオズワルドの経路と時間との整合性の問
今回の幹事和田氏
題です。私なりの結論的には先生は「オズワルドはチィピットを殺してはいないし、下宿からテキサス劇場に直行した」と言う先生の持論を補強するお話と言う事に感じましたが、時間の経過とチピット殺害に関する目撃者や各証言者達の矛盾点、12時30分以降のオズワルドの行動と時間経過に関するお話は、正に『わが意を得たり』の感じでした。お話は「チピット殺害に使用された銃弾の薬莢」の話に進みました。まいった、コンテンツ「チピット再び」の所で、「銃弾と薬莢の問題」として次回に譲ります。と書いてから相当な月日が経ってしまっていました。これじゃ、次回更新したときに参加者からは「二番煎じ」の誹りを受けそうです。(笑)今回のお話の中で、私が最も強烈に感じた事はアメリカでは基本的には”走らない”と言う部分です。アメリカ留学中の先生自身の体験を交えてお話くださったのですが、アメリカでは「走る」という行為は基本的に「逃亡している」と言う事を自明してしまうに等しいと言う事です。これは実際にアメリカで生活してみないと解らない事で、オズワルドは決して「走らなかった」と言う事になります。この事は重要で、特に「下宿からチピット事件現場」の時間の問題で意味を持ってきます。私のコンテンツの中での記述の修正が迫られることになりそうです。覗いてみると、中には私のHPのコピーを取り出して先生のお話と照合している方も居る!おいおい、先生は「研究」がお仕事、こちとら単なる「趣味」の世界ですよん。かんべんして頂戴(笑)
 これが企てか!
メインの先生のお話は終わりました。小生、演台の反対側に座って先生のお話を聞いていたのですが、終了するなり先生がこちらへと誘うのです。別に今後の懇親会への移動の手順やら予定の話をするだけですからここで結構と言っても何が何でもこちらへとお誘いになる。周りの常連さん達もニタニタしながら私を誘うのです。仕方なく演台の所に行くとロックさんが何やらゴソゴソやって品物を取り出しました。何と「十周年記念の盾」を用意してあったのです。要するに「知らぬは私ばかり」の世界でした、ロックさんが何やら「十周年おめでとうございます」とか喋っていますが心ここにあらず・・・・ここで泣いたらアカンと感激の涙を抑えるのに精一杯の私でした、お礼の言葉は正直何を言ったのか全く覚えていません。第一感謝の気持ちを伝えなければならないのはこっちの方であってクラブを継続できたのも私の努力なんかではなく皆さんが盛り上げてくれたからに他なら無いのですから。1999年のこの日ダラスへのオフ会としての旅から10年が経ってい
ます。正直毎年毎年このような会が続ける事が出来ようとは思ってもいなかった事なのです、ましてや名古屋・大阪などとは夢の又夢の世界であったのに!本当に感謝の気持ちをお伝えしたいのはこちらのほうです。当日はどんなご挨拶をしたのか全く覚えていませんので、この場をお借りして感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。皆さん「これがサプライズの企てだったのですね!
最後に「第三ビル」のエントランスにあった噴水のところで集合記念写真を撮りましょう、と向かったら噴水が止まっていました、これもご愛嬌でしょうか。まだ5時なのに!
 懇親会

懇親会の会場に向かう前にまだホテルへのチェックインを済ませていないメンバーはホテルに向かいました。正直にお話します、チェックインして部屋で荷物の整理をしていた時、先ほどの「盾」を眺めてしばし感激に浸ってしまった私です!
さて懇親会、勉強会の雰囲気とは変わって宴会モード。でも最初に店員さんから「飲み放題ですが、最後にお残しになった場合には、規定の料金を頂戴いたします」の話にはチョット興ざめしましたネ「大阪人の何とか」かしらん?大阪ではごく普通なのでしょうか?終盤になって残量が気になって気になったのは私だけ?そこかしこに話の輪が広がる、やはり紅一点の佐野さんに話題が集中、横浜だったら東京のプチオフ会にも是非ご参加を!と強烈なアプローチ。すみませんでしたね佐野さん。会を重ねるごとにメンバーの核となる方が増えてい











く事を願ってやみません。当然来年もまた再来年も続けていく事ができるでしょうし、又続けなければならないと決意も新たにした懇親会でした、それに4年後の事もありますしネ。
そうそう、予算不足の会であることを皆さん十分にご理解くださっているお陰で見事に定刻には平らげて下さいましたので追加料金なしで済みました。ご報告まで(笑)
 番外編

いつもの通り、懇親会だけでは収まらないメンバー達。カラオケボックスに繰り出しました。しかし小生「記念の盾」の興奮と前日までのハードスケジュールが祟って、チョッピリ酩酊、正直ほとんど覚えていないのが現実です。何か歌でも歌ったかしらん?でも、ここでも十周年のお祝いの延長で出されてきたのが巨大パフェ!甘いものはからっきし駄目な私である事はメンバーは皆知っている筈なのに!さあ食べてと、うるさくてしょうがない。一口食べるのが精一杯、しかも、ほぼ酩酊状態の自分にとっては拷問に近い所業!誰だこんな物注文したのは!それでも皆さんのお気持ちを無にしてはと数口食べたところまでは覚えていた私でした。私はここで沈没したのですが一部のもさ連はこれから再び大阪の夜を満喫しに繰り出したそうです。聞くところによるとホテル帰着が午前3時頃との事、それも何か良からぬところへ繰り出したとの噂を耳にしました、マー良くやるは!
 大阪観光
翌日は観光、どこに行くかと昨晩話したのですが「UFJ」に行こうと口走った私「銀行に行くんですか?」とのリアクション。おっと違った「USJ」じゃった。決着「大阪城」と言ったところに軟着陸。名古屋オフ会では名古屋城、今度は大阪城と城めぐりの感、すると次回は熊本城か青葉城かな?なんチャッテ!今回の観光には土田先生もご同行、名古屋の時にはそれどころじゃなかったのですが今回はご参加くださいました。そうそう、やはり三嶋大社のご利益は絶大なもので、今回のオフ会は全員無事に終わりました。お礼のご挨拶に行かなくては!連休中日とあって相当な混雑、館内見学は自由行動として各階を見て回りました。大阪冬・夏の陣の解説やら秀吉の生い立ちや足跡を中心の展示でやはり大阪では「太閤」さんが一番なのでしょうね!途中でナッキーさんとすれ違う「ありゃ、さっきまで居なかった筈なのに?」と思ったら家族同伴にての来阪だったそうです、それではオフ会の時間はご家族は何していたのでしょうネ?ついでの順番が違うのでは?まっ私みたいに同伴などと言う事は夢にも発想しなかった輩には意見を言う資格はありませんがネ。ちなみに家内は「私、大阪には子供のときに一度だけ行ったことがあるの」と出発前に盛んに話していたのって「おねだり」だったのかしらん?ここで佐野さんとお別れ、何かこれから「ジンベイザメ」を見に行くんだとの事?ジンベイザメか?いかがでしたかジンベイさんは?大阪駅で今回の幹事を務めてくれた和田さんとお別れ、又近いうちにお会いしましょうと改札口で別れました、本当に和田さんありがとうございました。最後に新大阪で東京組とお別れ、東京組は「のぞみ」私は「こだま」クソー  岐阜の駅で追い越されました。又新しい思い出を作って今回のオフ会も無事終了、また一年後か半年後かは解りませんがどこかでオフ会を開きますので今回参加できなかった皆さんも是非ご参加ください、心より歓迎いたします。
オフ会を終えて
皆様方からお寄せ頂いたオフ会感想を掲載します(到着順)、後着分も順次追加します。(送付原文のまま)

鈴木さん

今回は念願の全国制覇の足掛かり、西日本としては名古屋に次いで大阪での開催ということもあり、前日にボストンのJFKLibraryからギリギリ入荷したJFK腕時計と、ニューヨークにオーダーメイドで発注したケネディトレーナー等に身を包み、気合十分で「いざ、なにわへ!」
学生時代に半月ばかりドイツに滞在したことがある、といっても当時は壁崩壊前なので、旧西ドイツでしたが。そのドイツは20年前に壁が崩壊!なんといっても87年にレーガン大統領が「ゴルバチョフさん、この壁を崩しなさい!」と言った有名な演説を思い出します。ちょうど小生が旧西ドイツに行く2ヶ月前ということもあり、鮮明に覚えています。そんな思い出に浸っている中、前田さんの「ベルリンの旅」講演がスタートしました。小生も好きな演説の一つで、時々引用する「Ich bin ein Berliner」ですが、前田さんがシェーネベルグにてパソコンで演説を流した際、「ここで聴く演説は、すばらしかったですね!」とおっしゃられていた事がとても印象的でした!そして、演説会場の周りの建物が当時とほとんど変わっていないことにも驚かされました。ケネディFanとしては一度は訪れてみたいところですね。そうそう、昨年の45周忌ダラスオフ会時に小生が作製したTシャツが大活躍だったとのこと。嬉しい限りです。昨年のダラス・ワシントンオフ会時は小生の株は値幅制限いっぱいのストップ安でしたが、これで名実とも?にストップ高でしょうか?(笑)そして、土田宏先生の「まだまだあるティピット殺害の疑問」がスタート。初めて聞いた目撃者もいましたが、事前に土田先生、前田さんのHPで予習をしてきたこともあり、目撃者の位置関係等を確認しながら聞くことができたのですが、「謎が謎を呼ぶ」ではありませんが、あまりにも疑問の多さに正直混乱している状況です。そう、いろいろな目撃証言が交錯していて、時間的な矛盾が生じているのです!10番通りからデンバー通りを写した写真の一つは坂道、一つは平坦?から始まり、重要証言者達のそれぞれの疑問・矛盾点を指摘される。マーカム、スコギンズについてや、薬莢について、そして、ノースベックリーの下宿のあばさん、アーリン・ロバーツや、タクシー運転手ウェイリーの乗務記録について等々。最後の頃に指摘されていた「一般説ではオズワルドは12時33分に出たことになっているが、実は目撃者がいない」「あまり知られていないが、ティピットが13時10分にテキサス劇場の向かいのレコード店の前の公衆電話で電話をしているのを3人に目撃されている」うーん、益々分からなくなります!!前田さんがいつもおっしゃられている「自分自身で疑問を持つこと」という言葉を肝に銘じ、土田先生のレクチャーを自分なりに分析したいと思います。いや、無理かな?最後に、改めまして公認オフ会10周年をお祝い申し上げますと同時に、土田先生、前田さん、そして皆様、引き続き宜しくお願い致します。和田さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。そうそう、「めるまが」のご愛読も宜しくお願いします!(苦笑)

中北さん

楽しみに待っていた大阪オフ会もあっという間に終わってしまい、本日は休日出勤をしながら、徐々に現実に引き戻されつつあります。オフ会皆勤が途絶える直前の参加は2006年なので、3年ぶりのオフ会参加ということになりますが、今回はサイト開始15年、オフ会開催10年の節目の年であることと、久々の参加ということで、いつも以上に待ち遠しく、いつも以上に意識をしての参加でした。10年前を振り返ると、インターネットと出会ってからの日が浅く、Windows95から買い換えたばかりのWindows98とISDNの利用によって、頻繁に行われるサイトの更新を首を長くして待ち、更新のたびにそのすべてを印刷するのを楽しみとしていた日々が思い起こされます。あっという間に10年が過ぎたようにも思えますが、ドキドキしながら初参加した第1回ダラスオフ会、たった4人での第1回国内オフ会、一つ一つ思い出してみると、「やっぱり10年経ったんだなぁ」と認識できます。そんな10年目の記念すべき会場は大阪。国内オフ会では、常連の皆さんにとって今までで一番気合の入った道中になったのではないでしょうか?まずは前田さんの「ベルリン旅行報告」と「ケネディ・ベルリン演説」。通訳の部分までもを収録したノーカット版は、当然初めての体験であり、その時の様子に対して抱いていた今までのイメージを、より熱く、自分なりに感じることができたように思います。若いアメリカの大統領が力強く語ったことに、ベルリン市民は大いに喝采し、誇りに思い、勇気付けられたのでしょうね。次に土田先生の「まだ残る謎:ティピット巡査殺害事件」。ケネディ暗殺には必ず登場するものの、前提として、常に「オズワルドじゃないでしょ」との思いにより帰結していたため、ここまで深く考えたのも初めてでした。数年前の三島で、土田先生のお話をお聞きした後に、混乱していたのか、反対方向行きの新幹線に乗ってしまいそうになりましたが、今回の混乱度はそれを上回ります。泊まりだったので、それは回避できましたが。土田先生、前田さん、ご参加の皆様、大変有意義な時を共有させていただきありがとうございました。そして和田さん、本当にお疲れ様でした。着実に発展しているJFK CLUB JAPAN。すでに次回の再会を楽しみにいたしております。

堀口さん

大阪オフ会、皆様お疲れ様でした。今回初めての大阪でのオフ会開催で、これも地元 和田さんのご尽力の賜物で、ご苦労様でした。今回の勉強会も内容の濃い充実したも のとなり私にとっては充分満足いくものでした。先ずは前田さんの「ベルリンの旅」 の話、一度もヨーロッパへ出かけた事の無い私にとっては大変興味有る内容と、また 非常に参考になりました。HPにある「管理者ベルリンへ立つ」を先に読みましたが、 前田さんが現地で例のTシャツに着替えたら「なぜか奥さんが離れていきました」の所 なんか読んでいて思わず吹き出してしまいました。奥さんの気持ち分からないでもあ りませんが、それにしても、あのTシャツは強烈なんですね。言葉は何も要りませんで すね。それとケネディのベルリン演説で、ノーカット版を今回初めて見て知ったので すが、ケネディの演説の合間合間にドイツ語の通訳が入っていたんですね。今までは 英語で一気にスピーチしたものとばかり思ってました。確かにあの聴衆全ての人が英 語が理解できる訳無いだろうなとは思いましたが。そして次は土田先生のティピット 巡査殺害の謎について、詳細かつ長時間の大変ボリュームある内容の講演で、時間の たつのも忘れ聞き入ってしまいました。今まで謎の意識は持ってましたが詳しく時間 経過等調べては無かったので自分なりに再度検証してみたいと思いました。またBShi の番組出演時の裏話も出演者でないと分からない話も聞け大変興味深いものがありま した。その他、今回、メンバーの密かな楽しみのひとつでもあったサプライズが用意 されており、皆の気持ちを記念の楯にして前田さんへお贈りしました。大変喜んで頂 けて何よりでした。最後に、オフ会に参加しケネディに関しての知識を益々深められ るのと同時に、こうして毎回、前田さんや土田先生、そしてメンバーの皆さんと親交 を深められるのもまた素晴らしい事だと思いました。

和田 圭三さん

JFKクラブジャパン10周年おめでとうございます。
 私は第2回ダラスオフ会からの参加ですが、毎回の内容の濃さには驚きっぱなしです。今回もすばらしい内容だったと思います。 まず、前田さんのベルリン報告。 いみじくも「ベルリンの壁崩壊20周年」にケネディのベルリン演説全文を映像つきで聞く、ということには感慨深いものがありました。 掲示板にも書きましたが、通訳も「Ich bin ein Berliner.」と訳していたのを確認していただけたと思います。 私が1996年5月にベルリンに行ったときは、チェック・ポイント・チャーリー博物館に「1947年の封鎖とBerliner Luftbrucke(空の橋―というような意味で「大空輸」のこと)」「西への脱出」と並んで「ケネディ大統領ベルリン訪問と暗殺」のコーナーがありましたが、チェック・ポイント・チャーリー博物館は発展的に廃止され、脱出関係は同じ場所の「壁博物館」、ケネディ大統領関連の提示はブランデンブルク門近くの「ケネディ博物館」に移ったということですね。専門の展示場が出来たおかげで「ケネディ大統領」の展示物が充実していたように思います。ぜひとも、もう一度ベルリンに行きたくなりました。次回のダラスオフ会までにプラハやワルシャワを絡めた旅行を計画したいですね。 次に、土田先生のティペット殺害事件の考察。 ブキャナンの本を読んで以来、ティペットも非常に低いレベルでの「共犯者」だったとは思っていますが、暗殺事件の「不幸な脚注」ぐらいにしか考えていませんでしたので、今回の先生のお話はまさに「目からうろこ」でした。 冷静になって考えてみれば、硝煙反応が出なかったことも含めオズワルドを「犯人」と断定できる証拠は皆無に等しいし、ウォーレン委員会の証拠(ほとんどが状況証拠)や目撃証言だけでは公判の維持すら難しかったと思われます(*)。でも、大統領を殺した(と発表された)男が警官も殺して逃げている、となれば、多くの国民の気持ちは「やっちまえ!」となるでしょう。ですから大統領の暗殺が成功した時点でティペットは殺される運命にあったようにも思えます。 ケネディ暗殺をかろうじてリアルタイムで覚えているとはいえ、私は当時の「リンチ黙認(奨励?)」的なアメリカ社会の雰囲気は知りません。でも当時の雰囲気はきっとあの「9.11」直後のものと似ていたのだろうな、とは思います。サダム・フセインを嫌っていたブッシュをチェイニー・ラムズフェルドたちがたきつけ、「大量破壊兵器がある」「アルカイダと関係がある」などという発表で多くの人々をミスリードし、イラクに攻め込んだ時のあのヒステリックな雰囲気です。ヴェトナム戦争やウォーターゲート事件における政府の嘘から、アメリカ人は一体何を学んだのだろうな、と思います。やはり彼らにはイギリス人のような余裕が無いのかも知れませんね。(* NHKの番組でパックンが「オッカムの剃刀」を引き合いに出したとき、証言を統一するのは大変だから「陰謀論」はありえない、と言っていましたが、ティペット事件のいろいろな証言は逆に「陰謀論」の証明になるように思います。まさに「神は細部に宿る」ですね。) 最後になりましたが、わざわざ大阪まで来てくださった皆様、ありがとうございました。不手際な部分が多々あったと思いますが、内容の濃さに免じてお許し下さい。

中出さん

ロックフォードです。「第7回 国内オフ会」に参加された皆さんお疲れ様でした。今回のオフ会は、初の大阪開催ということと、JFKクラブ・ジャパンのダラスと国内を合わせた「10周年記念」となりました。この場をお借りして、その記念の楯製作までの紆余曲折を少し書かせて下さい。昨年の「第3回 ダラス・オフ会」のレポートに私は「来年ロックフォードは何か企んでおります!」と書きました。しかしその時はまだ「企み」を何にするか決めていませんで、単に私を3度アメリカへ連れて行って呉れたJFK CLUB JAPAN の前田さんに対して、感謝の気持ちをカタチにして10周年のお祝いをしたかったのです。これは昨年から、記念パーティにする案や記念品を贈るなどイロイロ考えては「プチ・オフ会」の席で土田先生や猫さんやサリンジャーさんに相談していたのですが、確か今年の新年会となった「公認第10回プチ・オフ」で大阪でオフ会をやり、その場で記念品を贈呈するという企みが熱燗の酔いとともに浮かんできました。そこで和田さんに「もし今年のオフ会を大阪でやったら幹事やってくれますか?」とお願いしたところ快諾してもらえたので、私の「企み」の第1歩がスタートしたのでした。この後は楯の製作会社をネットで探したり、図々しく土田先生にその楯に入れる記念の文を英語でお願いして、賛同者の皆さんに連絡したのでした。この間に前田さんから思わぬシロモノが届いて、これは11月のオフ会前に「贈呈式パーティ」をやらなくては?などと考えたりもしましたが、楯の製作期間などもあり、予定通り大阪で贈呈することに決めました。先週のオフ会から帰宅した翌日に前田さんからメールが届き奥様にも喜んでもらえたと知り、楯を贈呈出来て本当に良かったと思いました。さて、私としては、8年振りの大阪でしたが、本編の「第7回 国内オフ会」も翌日の大阪城見学も存分に楽しめました。オフ会での前田さんお「ベルリン訪問記」は大変楽しく、特にケネディのベルリン演説のノーカット版映像は圧巻だったと思います。有名な「私は、ベルリン市民である」の部分は何百回も見ていますが、最初から最後まで見たのは勿論今回が初めてでした。奇しくも今年は壁崩壊から20周年ということもあり、レアで素晴らしいお話しだったと思います。土田先生の今回の講義内容は「ティピット殺害事件」でした。私のようなケネディ暗殺事件の素人は、どうしてもディーリー広場での暗殺現場から興味の対象が離れないのですが、オズワルドの逃走ルートの途中で起きたティピット警官殺害事件も、土田先生の講義で改めて聞くと本当にまだ隠れた謎が満載なのだと感じました。実は、帰宅してから先生の講義で出て来たティピット殺害現場と、10番街とパットン街の交差点の植え込みに捨てられていた薬莢の件が頭から離れなくて・・・いまオズワルドが所有していたとされるS&Wの38口径リボルバーとティピット殺害に使用されたとの証言がある38口径のオートマテック拳銃の割り出しをしようと思っています。オフ会後は大阪の夜を満喫してホテルへ戻った時は完全にグロッキーでした。今回、私が副幹事をやるといいながらも、実際には全てやってくれた和田さんい感謝いたします。オフ会途中で出て来たコーヒーとバームクーヘンはナイスだったと思います。今回初めて参加してくれた西宮の大倉さん、お久し振りの松平さんまたお会い出来ることを楽しみにしております。横浜から来てくれた佐野さん都内の「プチ会」でお待ちしております。是非来て下さい!今回の記念の楯に賛同して呉れた、小澤さん、中北さん、堀口さん、鈴木さん、植田さん、和田さん、素晴らしい英文を書いて呉れた土田先生に感謝いたします。最後に前田さん10周年本当におめでとう御座いました。では、プチ・オフ会の忘年会か新年会でお会いしましょう。

小澤さん

第7回国内オフ会に参加の皆様お疲れさまでした。 初の関西進出ということで、勉強会・懇親会の会場選定等を取り仕切っていただいた、つとむ(和田)さん、ありがとうございました。 今回は、前田さんのベルリン・リポートと土田先生の講演の2演目でしたが、まず、さすが前田さん、旅の報告だけに済まず、1963年のJFKのベルリン演説を、プロジェクター画像と対訳付きの資料でご紹介いただき、ノーカットであの演説を見たことのなかった私には、とても貴重な情報収集ができました。これだからJFKクラブのオフ会は辞められません!! 「これはドイツにも行かにゃ、いかんわい」とつくづく感じされられた私です。前田さん、画像プレゼンテーション技術はますます進化してますね。すばらしいです。あの冷戦最中の西側陣営の陸の孤島だった西ベルリン市民にとって、西側陣営の若きリーダーだったJFKが訪問し、激励のこもった演説をしてくれたことは、感激だったと思います。観衆の反応も凄かったですし、画像を見ると、失礼ですがアデナウアー西独首相とはオーラが違っている印象でした。。 土田先生の講演は「チピット警官射殺事件」に関するものでしたが、JFK暗殺事件には直接関係はないものの、オズワルドが容疑者として逮捕されるきっかけとなり、またオズワルドの残忍、異常性のイメージを植え付けた気になる事件です。私はJFK暗殺事件に興味を持ち始めた頃は、この事件はあまり気にかけていなかったのですが、暗殺当日の、教科書倉庫からテキサス劇場までの逃走ルートを解明する上で、とても重要であることが3度のダラスオフ会での現場の訪問で感じるようになりました。時系列で事件の詳細を解説していただいた土田先生の豊富な知識には、毎度のことですが驚かされます。目撃者の証言の矛盾、オズワルドは本当にあの現場にいたのか?土田先生の解説を聞くとまたまた興味復活です。オズワルドに関しては、暗殺直前のメキシコ訪問、暗殺直前のダラスに現れたオズワルドのダブル(替え玉)の件、まだまだ謎が多すぎます。土田先生、今後、この辺のテーマでもお教え頂ければと勝手に考えております。 そして、クラブメンバーからの前田さんへの記念の盾贈呈、ロックフォード(中出)さんの発案で、オフ会開催10周年の節目にクラブメンバーの想いを集約して製作したあの盾に印された言葉はクラブメンバーの本心からの気持ちです。その後の懇親会、カラオケボックス、おまけの(?)3次会、翌日の大阪城訪問、楽しい思い出がまた一つ増えました。今回、初参加の佐野さん、大倉さん、久しぶりの再会の松平さん、またの機会で、是非ケネディ談義に花を咲かせましょう。 最後に、「御大」前田さん、土田先生、今回、会場幹事の和田さん、記念の盾製作に尽力された中出さん、新幹線チケットの手配をいただいた中北さん、報道官サリンジャー鈴木さん、堀口さん、植田さん、みなさんありがとうございました。