準備
 前回の報告書で、身内の問題とは言え皆様に大変ご迷惑をおかけしましたので今回は是非とも早いアップを心がけたのですが、又してもこんな時期になってしまいました。なにせパソコン講師の最も忙しい時期は12月なのです。そう、年賀状の季節だからです、毎回遅くなる理由もこれなのですが。ご年輩の生徒の覚えの悪さといったら大変なものです(まっ、スイスイとマスターされますと商売にならないのも事実ですが)中には私の事を年賀状・暑中見舞いの専用秘書とでも思っている”輩”が大多数ですので困ったものです。
 さて、通算13回目を迎えたクラブ・オフ会!今回は6年ぶりに三島での開催と致しました。この間、東京・ダラス・大阪・横浜・埼玉と各地を周りましたが毎回皆様のご協力で盛会裏に過ごせましたので、今回はお礼の意味もこめて三島開催としたのです。せっかくお迎えするのだからと三島市内で最も人気のある会議室を手配すべく、予約解禁の6月1日、受け付け開始の一番乗りで確保いたしました。それに、懇親会場も懐石料理を出すお座敷宴会を!と、目論んでいた料理屋へ。(懐石お座敷宴会場としては、極めて廉価で提供してくれる所なのです)ところが、その料理屋へ行ったら、何と11月23日は結婚式が入っていて貸切状態との事、これは困った!又身動きとれない居酒屋での懇親会にせざるを得ないかと覚悟を決めました。居酒屋ならば半年以上前の予約は不要と帰宅したのです。これが結果オーライだったのですが。7月に入って『暑気払い公認プチオフ会』の会場で11月オフ会の参加の参加打診をしましたら我も我も!と参加表明、これは参加人員数で悩む事はないと安心したのです。このオフ会も最初は4名のコアから始まり、会を重ねるごとにコアが9名となり、最近では14〜15名に増加していますので以前のような参加者の数が読めない苦労は少なくなっています。大体の推測で参加者目標17名と計算する事としました。そんな折、伊豆の温泉旅館の現状について話す機会があったのです。私は、今から40年以上前、学校を卒業して最初の就職先が主に各地の観光協会や旅館・ホテルをクライアントとする広告屋だったのですが、その時の同僚から「伊豆の旅館は価格体系が崩壊して両極端に分類されている、○○旅館は一泊一万円以下でやっているのに同じ温泉場の××旅館は一泊三万円以上の料金を取っている」と言うのです。私の現役時代には○○旅館・××旅館はその温泉場では高級旅館として知られた処なのです。温泉旅館でのオフ会など念頭に全くなかったのですがネットで調べると、確かに○○旅館は一万円以下の料金を提示しています。「温泉オフ会」の構想が芽生えた瞬間でした。ただし、いわゆる『訳あり』と言うやつで、「客室内接待」は無し、「布団敷き」は致しません、「部屋出し料理・団体座敷宴会」は無し、すべて食堂での提供との事。究極の選択に迫られた訳です、すなわち従来通り街中で会場を探して、お座敷宴会を実現しビジネスホテルを準備するか、温泉情緒を楽しんで頂きお座敷宴会をあきらめるかの選択です。結局、せっかく『伊豆』に来て頂くのだから温泉情緒を楽しんで頂こう、過去に無い裸の付き合いのオフ会もいいんじゃん!となりました。
 早速予算建てをして開催予告をアップしました。参加表明最初は順調な滑り出しだったのですが、ある日からピタッとストップ。申し込み期限ギリギリの日に最後の申し込みで決着14名にてストップしてしまいました。当初の目論みで『固い』と思われていたコアの中から3名の欠席者が出てしまったのです。しかし仕事や親戚付き合いなど優先順位からすれば、このオフ会はかなり下位になるはず、致し方なく14名で〆切ったのでした。(予算がチョッピリ不安でしたが)
 募集活動をしていた9月のある日、鈴木君から一本のメール。「以前、富山の高橋さんから『オフ会の折、前座を務めさせて頂けないでしょうか。 テーマは「ケネディ大統領暗殺前後の周辺」として、資料的には拙い年表を作成中です 』とのメールが入っていました」とのご連絡。もちろん大歓迎!昨年の中出さんの発表に続いて今回は高橋さん!何か理想的な形が現実になってきて心よりうれしい気持ちでいっぱいになりました。すると今回は三人の話か!逆に3時間半の時間制限が心配になるうれしい悩みでした。

  いろいろあった開催目前!
 11月に入って♪もういくつ寝ると♪なんて思っていた日、一本のメールが入ってきました。「雑誌PEN編集部の多田と申します、来年はケネディ没後50周年になるので、総力取材の特集を組みたいと思います、是非ご協力をお願いします」とのメール。事前に土田先生から紹介しておいた旨ご連絡を頂いていましたので驚きはしませんでしたが・・やっぱマスコミも50周年で色々目論んでいるのだなと感じました。三島にお見えになった多田さんと面談し、色々話していたのですが、その折「丁度今月の23日に、こんな会合があるのでご参加になってみたら」と伝えておきました。
 さらに開催一週間前には、長年のイタリア生活から今年帰国され久しぶりのオフ会参加の池田さんから「会の冒頭に『自由の賛歌』を流したらと」のご提案。Youチューブから動画入りのファイルをダウンしたので使ってくれとの事。ご存知の方も多いかと思いますが、1968年頃でしたか、ケネディの各種演説に音楽をからませて作られたレコードがありました。「ケネディと歌おう」と言う表題で、LPとEPの二種発売されて居ました。その収録曲のなかの「自由の賛歌」が最近のテレビコマーシャルに流れています。ドコモのコマーシャルで→  「きのこのお化け」みたいなのが空を動き回るコマーシャル、バックに流れる♪ツゲザー♪ツゲザー♪と言ってるやつです。これはいい!さっそく会場に持参するパソコンに保管しました。→  そんなご提案で私の制作意欲?が刺激され皆さんのお部屋に額装してもらえるような,ポスターと言うか写真を作ろうと思い、急遽制作しました。A3サイズ14枚の白黒写真でしたので、いっぺんに新品の黒インクが空になっちゃいました(笑)
 いよいよオフ会も2日後に迫った22日、宅配便のおいちゃんが「前田さ〜ん、宅配便で〜す。」一目見て日本酒とわかる荷物を届けてきました。「お歳暮にしては、ずいぶん気の早いやっちゃな」(我が家の中元・歳暮は酒ばっかり)と荷札を見ると送り主は浜松の松平さん。中身は銘酒「越乃寒梅」!カードが同封されていて「二次会で皆さんで飲んで下さい」とのメッセージ。よほど今回の欠席が残念だったのか、自分の分身だけでも参加させるとの思いからお送り頂いたものと解釈して有りがたく頂戴しました。

  6年ぶりの三島
 いよいよ当日の23日。朝からそわそわ、準備の確認に楽しい忙しさで午前中を過ごし、いざ会場へ。残念ながら空は雨模様、皆さんを迎えるはずの富士の山も全く見えず残念でした。ちなみに、JR三島駅の駅舎は見る場所によって富士山と同じ形に見えるように設計されているのです。再度三島に来た折には注意して見て下さい。
 会場に着くとすでに池田さんが到着、離れた場所に井上さん。二人は初対面ですから仕方がありません、お二人をご紹介していると次々と到着。あっと言う間に全員がそろいました。例の名古屋オフ会の折、徹夜で群馬から車を飛ばし、会場近くで仮眠をとって参加された本橋さん「今回も徹夜でしたか?」「いや、近いから早朝に出てきました」とのお返事、私なんかには遠の昔になくなった若さとはいいものです。例のPEN編集部の多田さんも来られて盛んに名刺を配っている。「ケネディグッツをお探しなら、こちら中北さん」「書籍をお探しでしたら、こちら鈴木さん」と記事ネタになりそうな方々を紹介しておきました。時間はまだ12時30分、全員揃ったので早めに入場してプロジェクタの準備などしようと思い担当の方に「全員揃いましたのでチョット早いですが会場のカギを下さい」と言ったら「前延長料金を頂きます」だって。
たく、だからお役所は融通が利かないと言うか・・・別に今使っている訳でもないのに。

三島市民文化会館(ゆうゆうホール)
 三島市民文化会館は「箱物行政」が好きだった先々代の市長が、そこらじゅうの公共建物を新しく建て直した物のひとつ。おかげで現在の三島市財政は大赤字!三島市民にとっては曰因縁のある建物ですが、今はそんなことはどうでもよい事。会場にご案内しました。
皆さんの第一声「前田さん、エクスコム会議でも始まるのですか?」だって。まっ「特別」の冠を付けるくらいですから、これくらいの雰囲気でなきゃネ。過去のパイプ椅子に折りたたみ長テーブルの会場とは一味違った雰囲気です。(これからのオフ会々場の先例にするつもりは全くありませんので念の為)

 勉強会
左から植田・高橋・本橋の各氏
左から野田・多田・池田の各氏
左から中出・堀口の各氏
左から小澤・中島・中北の各氏
左から鈴木・井上の各氏
 いよいよ勉強会の開始!最初に今回のオフ会の予定と、冒頭に書いた温泉オフ会の決定経緯をお話ししました「今回の懇親会は全員浴衣姿でリラックスして行きましょう」とご提案しました。これが結果的に過去に無いほどの盛り上がりを見せた原因であったと我ながら自負致しております。
 さて池田さん提案のプロローグ!中にはご存じない方もいらっしゃった様子で、そこかしこで”うんちく”を話し合ってるご様子でした。(ご参考までに、この文章を書いている時点でYAHOOオークションでEP盤が3枚出品されていました。値付けも300円〜2000円とバラバラで、出品者の価値観の違いが如実に表れています)
さて、本番の勉強会の開始です。最初に、自ら講演を申し出てくれた高橋さんの登場。配られた資料をみて会場がざわつきました。何と、A3の用紙10枚に8pt位の文字がびっしりとつまった年表形式の資料でした。老眼の始まった私にはとて
も読めないくらいの物です。早速、眼鏡を取り出し拝見しました。年表と言ってもケネディ関連だけでなく内容は多岐に亘り、なかなかのものです。ただ、源田実や児玉誉士夫なんかが出てきたりして、そのうち淵田美津雄や瀬島龍三なんかが出て来やしまいかと思ったりして、ちょっぴり高橋さんの趣味の傾向が解ったような気がしました。加えてケネディ関連ではアーレイ・バーク提督の名前がひんぱんに登場する。そう、土田先生の著書『秘密工作・ケネディ暗殺』で先生が事件の黒幕と名指ししたABその人なのです。(この文章を読んだ土田先生に確認!もう時効で良いですよね?笑)
隣にお座りになっていた先生の脇腹をチョンチョンと突いてしまいました。「先生の影響力や大変なものですね!」と言ったら苦笑されておられました。
高橋さんの話に熱が入り皆も引き込まれていく、ふと、時計を見るとすでに2時半を回っている、正直3時間半の使用時間は高橋さん1時間、私が1時間、先生に一時間半と踏んでいたのですが、まだ年表は暗殺当日までにもいっていない。このままで行くと先生の時間が無くなっちゃう、申し訳なかったのですが「先生
講演中の高橋さん
講演中の土田先生
の時間が押してしまうので、3時頃までに纏めて」とのメモを渡してしまいました。どうも済みませんでした。後日、感想文の中で「足が震え、平静では無く。もうひっちゃかめっちゃかで時間の感覚もとうに無かった」と書かれていますが、それほどでも無かったですよ。何んとか3時までに纏めていただきました、残り1時間半。私の話は割愛としました。
 少しのトイレ休憩を取ってから土田先生の講演です。演題は「暗殺現場の新検討・・・オズワルドは何処に?」です。今年の2月の段階で先生が談話室で紹介された Barry Ernest の著書 The Girl on the Stairs から、再び当日の教科書倉庫に興味を持たれた研究の途中経過発表といった感じです。すなはち、The Girl こと Victoria Adams の証言を当時の捜査の成り行きとあわせると、「オズワルドは6階にいなかった」あるいは「6階から2階に駆け下りてはいない」というのです。この場で講演の内容をすべてご紹介する事はとても無理な話ですので、私が”うなった所の一つ”を書いてみます。
 ページでも書いていますが「ポニー・ウイリアムズ、ハロルド・ノーマンの証言『正確な時間は思いだせませんが、私は銃声を聞きました。私は何も見ませんでしたが、3発の銃声を聞きました。そしてさらに 薬莢が床に落ちる音とライフルから薬莢を弾きだす音のようなものを聞きました。』とあるのです。単純に読みつれば何の疑問も起きない証言になり、問題のない話になりますが、今回この証言に大きな欠落を指摘された事です。ウオーレン報告書によるとオズワルドは銃撃後2分間で6階から2階の食堂に移動した事になっています、可能であったとしても決して”抜き足さし足”で歩いていたのではない事は間違いありません、とするならば、証言に大きな欠落があることになります。『足音』です、私はライフル銃の操作音を何度も聞いていますが、発射音のような大きな音ではありません。ましてや、建物の構造体そのものから発する「足音を聞いた」と証言していない事をどのように説明するのか?改めて大きな違和感を感じてしまったのです。 その他 『Exhubit 496』 のお話や、その日その時教科書ビルの2階で繰り広げられた時間とのドラマ、さらには歴史の中に埋もれてしまった Victoria Adams の証言等々書き始めれば切りがありませんので、2004年のオフ会の時の先生の講演を纏めた項目のように、後日アップしようと思っています。その為に私のパソコンである事をいいことに先生が講演で使われたPPTファイルをコピーさせて頂きました、すみません。
 時間はもう4時20分、前延長料金を請求するくらいだから1分でも超過すれば、どっかのキャバクラみたいに確実に延長料金を請求される。あわただしく片づけ「1階のロビーにお集まり下さい」とお開きにしたのでした。この日、別の会議があってご挨拶も出来なかった私の家内もギリギリ間に合ってご挨拶。集合写真を撮らせて懇親会場の伊豆長岡に向かうメンバー達でした。
 伊豆長岡の夜
 勉強会の会場から伊豆長岡までは三つのグループに分かれて向かいました。本橋さんのワゴン車と私の車、残りは電車です。通常、三島から伊豆長岡までは国道を通っても20分もあれば十分なのですが今日は三連休の初日、間違いなく大渋滞のはず、私は電車組のメンバーの案内をしなければなりませんので中出さんに私の車の運転を頼みました。案の定、旅館に着いたのは電車組が一番、車組は一時間以上かけてやっと到着です。
宿泊した旅館は、かつて私の知っていた高級旅館の面影は全くなく、まるで温泉レジャー施設のようになっていました。正面ロビーは全て売店と化し、ゆとりも全くない雰囲気になってしまっています、これが分極化の分極化たる所以かと納得しました。しかし客室や野天風呂などは昔のままです、40年以上経ってもそこかしこに面影?は残っていました。一時間程入浴時間を取って頂き、いよいよ懇親会の始まりです。
 今回はオフ会13回の歴史上?初めての浴衣姿の懇親会です。懇親会開始前に一言ご注意を、浴衣姿で街のスナックなどにに繰り出す事だけは絶対におやめ下さい、全て、とは言いませんが店によっては、とんでもない事になる可能性がありますので、二次会は客室にアルコールやイカゲソをたっぷりご用意して有りますので・・・では「乾杯」とスタートしました。やはり日本人は背広や洋服を脱ぐとリラックスするもの、自然と話がはずみます。そこかしこでケネディ談議に花が咲きました。”お銚子片手に、まずは一献”とにじり寄る雰囲気は残念ながら実現しませんでしたが。
 ここで反省(毎度の事ですが 笑 )私は一般の方よりは多少アルコールには強い方と思っているのですが、オフ会やプチオフ会ではかなり酩酊してしまいます。(やはり楽しい雰囲気と高揚した気分がそうさせるのでしょう) メーターはどんどん上がり後半にはかなり酔ってしまいました。お開きとなる頃、中北さんが背広に着替えている。なんじゃ、まだこれからなのにといぶかると「急遽帰らなくなってしまいました」との事、本当に公私とも多忙な中北さんです。

 見よこの勉学の徒を!
 懇親会終了後客室へ、ダラス名物「イカゲソパーティー」です。イカゲソパーティーの意味を知らない方も居るかと思いますが、発端は第一回ダラスオフ会で、夜ホテルの客室の絨毯の上に車座になって酒を酌み交わしケネディ談議に花を咲かせたのですが(要はホテルのバーは高いし、外に出ようにもどこに行ったらいいのか解らないだけなのですが)私の大好物である「イカゲソ」を、アメリカにはこんなもの無かろうとはるばる日本から持ち込んで”おつまみ”にした事から私が勝手に命名したものです。以来二度のダラスオフ会では恒例となっているのです。過去の国内オフ会やプチオフ会では二次会は「カラオケ」が定番であったのですが、今回はカラオケなしの二次会となりました。
 松平さん差し入れの「越乃寒梅」を披露し、準備しておいた”おつまみ”をぶちまけ二次会の始まりです。まっ、酒を飲みながらおしゃべりすればいいと思っていたのですが、やにはに高橋さんが勉強会の続きを始めました。時間の関係で話せなかった分を取り戻すべく、資料を鴨居に貼り話し始めました。演題?はニューオリンズ!土田先生もご自分のパソコンを取り出しニューオリンズ談議、さながら来年のダラス・ニューオリンズオフ会の決起集会です。
 かく言う私は、懇親会での酒と、「越乃寒梅」の魅力に取りつかれ完全にダウン状態。正直、高橋さんや先生のニューオリンズ談議は半分も覚えていません。大変申し訳ありません!陳謝・陳謝。 間違いなく一升以上は飲んでいるはず、翌日の数十年ぶりの二日酔いが証明しています。(笑) どうもその席で池田さんに触発されて作った額装用の写真を皆さんに配ったようなのですが、翌朝皆が持っているのが不思議に思ったくらいですから。
エピローグ
 「翌朝」と言っても数時間後、若干の頭痛に悩ませられながら(笑)朝食を囲んでいると高橋さんがご挨拶に来られました「なにせ遠距離ですのでこれで失礼します」との事、はるばる富山からのご参加有難うございました、昨晩宴会の中で「来年はダラス・ニューオリンズですがその次の年、15回のオフ会は金沢か富山を考えておいて」と言った事を再度伝えてお別れしました。ざっと見渡すと、どうももう一人居ない。そうじゃ、本橋さんがいない・・聞くと、連絡があって急遽お帰りになったとの事。「何か、お身内にご不幸があったようです」と鈴木さんからの報告!「エッ!又かいな」ついに二度ある事は三度になっちゃった!私は直接何も聞いていなかったので詳細が解らず。連絡を取ろうにも連絡手段はメールのみ、なかなか連絡が取れなかったのですがやっとの事で電話連絡が取れました、聞けば奥様のお父様がお亡くなりになったとの事、数日前から危篤状態だったのだそうですが、よくもそんな状態でご参加頂けたのですねと聞くと、何と奥様が「最近あなたも看病疲れで大変だったし、楽しみにしていた会なのだから気晴らしにぜひ行ってらっしゃい」と後押ししてくれたのだそうです。それを聞いた時、何んとお返事して良いのか言葉に詰まってしまいました。まだお会いした事のない奥様ですが、きっとご主人思いの素晴らしい奥様に違いありません。
井上・野田・中島の三氏はせっかく伊豆に来たのだからと観光めぐりを!そこは「地元の私の出番」とタクシーの運ちゃんに「こことここを手っ取り早く周ってこの駅に降ろしてやって」と指示しました。こんな時、西も東も解らない観光客でなく地元人がバックに居ると運ちゃんに思わせる事は重要なのです。後日談ですが、偶然にも翌日のTV番組「鶴瓶の家族に乾杯」で三人が周った場所がメインの放送があり、思い出もひとしおになった様子でした。本橋さんがお帰りになってしまったので車は一台のみ、電車組と車組に分かれて帰路につきました。

 こうして第十三回目のオフ会は盛況裏に終了いたしました。思うに、過去どの回にも負けない盛り上がりを見せた会であったと自負致しております。来年はいよいよ50周年「ダラス・ニューオリンズオフ会」です、皆さんお楽しみに!

後日談
本来であれば数万円の講演料をお取りになる先生に、ご無理を言って無償で講演をお願いしている関係上、せめて交通費ぐらいはと毎回些少ですが「お車代」を差し上げているのですが、今回は固くご辞退され『クラブの為に使って』と仰る。先生も、よっぽど楽しかったのだろうと勝手に解釈しているのですが。後日、使い道にグッドアイデア!次回のダラス・ニューオリンズオフ会やプチオフ会などの時に連帯感を強める為のバッチを作ろうと発案しました。善は急げと手配完了!完成してすでに私の手元に在ります。今回の報告書アップ時点で手元に在るのですからこれは紹介するべきと思い写真をお見せします。新年会?や次回オフ会の席上参加者の皆様にお配りします。「いや、そんなに待てない!」と言う方には、先に”着払い”にてお送りしますのでご連絡下さい。(笑)

 オフ会を終えて    

中北さん

今回のオフ会は市内会場での勉強会の後、温泉場での懇親会開催ということでしたが、温泉への移動時、温泉に浸かりながら、浴衣での食事中と、従来のオフ会とは異なる様々な行動にお いても、すべて傍らにケネディを携え、従来以上に熱のこもったオフ会であったと感じました。
食事後のイカゲソパーティーを楽しみにし、温泉では土田先生の講義を思い出していました。 2004年の三島オフ会では、衝撃的な講義内容からか、帰りの新幹線で逆方向に乗りそうになったことを思い出し、「明日はそうならないようにしないと。」と思いながら。 残念ながら、イカゲソパーティーに参加することなく帰る羽目になってしまいましたが、持ち合わせているすべての資料をひっくり返しながら講義内容を思い出しています。
今日になって報道官から、「昨日は寝たあとで泥酔軍団の襲撃に遭い、拉致され、イカゲソパーティーに再び参加した後、無罪放免になった。」との報告を受け、楽しかった 様子が伝わってきました。高橋さんの渾身の力作資料、ケネディ事典として活用させていただきます。年表形式の資料は、「あれいつだったっけ?」との突発的な疑問解決 にかなり有用です。貴重な機会をありがとうございました。

鈴木さん


三島オフ会に参加されました皆様、お疲れ様でした!
代表前田様のお膝元三島での開催は3回目となり、'06第5回三島オフ会は大遅刻で勉強会に参加出来なかったのですが、今回は土田先生と首都圏組とで無事到着したのでした。勉強会会場の特別会議室と、懇親会は初の温泉で裸のお付き合いもGoodでしたね!前田様には日々お忙しい中、勉強会会場や素晴らしい温泉旅館等のセッティングを頂きまして、改めて深謝申し上げます。
さて、いよいよ勉強会がスタート。毎回楽しみにしている土田先生の講演の前に、遠路富山からお越し頂いたTexas Joe高橋様が前座、配って頂いた資料を見てビックリ!A3用紙10枚にビッシリ!後で聞いたのですが、約4年がかりで作成されたとのこと。大変お疲れ様でした。
続いて土田先生の講演がスタート。「JFK暗殺再検討 オズワルドはその時何処にいたのか?」と題してスタートしました。今回も今まで以上に予習をしてきたので、土田先生の講演を前のめりで拝聴させて頂きました。冒頭いきなり核心をつき「オズワルドは6Fにいなかった!」「最初から2Fの食堂にいた!」とガツン!と衝撃を受けたのですが、ベーカーのお粗末な捜査や、2Fの状況、証言者のお話等々、勿論小生もオズワルド単独犯説は納得いかないのですが、'09の大阪オフ会に続いて土田先生の持論をお聞きする度に眠れない夜が続いております(汗)。
また、土田先生がウオーレン報告書2冊を持参されてきたのですが、小生は初めて手にし、「おー!スゲー!これが報告書かー!」と1人感動しておりました。来年はいよいよ50周忌、「ダラス&ニューオーリンズオフ会」です!前田様が皆が身に付ける「JFKクラブのロゴ入り缶バッジ」の製作に入られているとのこと。40周忌のデイリー広場はもの凄い人ごみでしたが、50周忌はそれ以上でしょうね!小生の思いは既にDallasNew Orleansへ向いております!今から楽しみにその時を待ちたいと思います。Ich bin ein DallasNew Orleans!最後に前田様、お土産のお手製写真、ありがとうございました。そして、皆様、ありがとうございました。

高橋さん


第13回のオフ会に参加されました皆様 大変ご苦労様でした。
今回 はからずも土田先生の前座を努めさせて頂きましたが、拙い資料 並びに 説明で帰郷後、思い出す度に冷汗・赤面で大変恐縮致しております。会場へ入るまでは何とか努めて平静だったのですが、流石に参加された方々が着席され、周りを見渡し、自己紹介時 起立しますと自然に足が震え出し、平静では無くなりました。勉強会では富山弁とTX訛り(?)でさぞ、お聞き苦しかったと思いますが、何卒 ご勘弁をお願いします。(喉もカラカラとなり、昨年度のロックフォードさんのご苦労が判りました)資料は幸い手許に年表の元が少々と、昨年 会社の後輩が土産代わりにくれたニューオリンズの市街図が有りましたので、使わせて頂きました。(ケネディのケも、ニューオリンズのニューも言わないのに・・)
往きの電車の中では「あれとあれは絶対 喋る」「あれは不要」とシミュレーションをしていた積りですが、いざ説明の段になりますと、もうひっちゃかめっちゃかとなりました。説明中 時間の感覚もとうに無く、前田さんに「3時までに・・」のメモを頂き、我に返りました。(「しまった!・・ 地図の説明まで届かネェや」)しかし資料の準備段階で楽しかったのは、やはりニュー・オリンズの市街図です。J・ギャリスンの「JFK」を片手に少しづつSt・Avを調べながら、ひとり 50年前のN.O.にタイムスリップしておりました。オフ会の前々日21日になって、ギャリスンが勤めていた、又 C・ショーの裁判が行なわれた地方刑事裁判所を拾っていない事に気付き、夜中に再び調査を開始致しました。著書の中にヒントは有りました。「テューレンAvとブロードSt(Av)の交点・・砦の様な・・」とまでは判りましたが、番地が判らず特定する事が出来ません。
更にGoogle・Earthで「地方刑事裁判所=直訳Local Criminal Court」で検索致しますと、・・出ました!「Criminal Court Judges,2700 Tulane Avenue」。 建屋は四角いビルではなく、法曹界に良く見られる石・レンガ積みでもなく、まるでアパッチ砦の様に異様な形をしています。「こっ こっ これだ!」現在の建屋は50年前と同じものか、建て替ったものか判りませんが、何故かデザイン的には風変わりなものとなっています。更に帰路 電車の中でオフ会に出席された池田様が持ち込まれた「JFK Breaking The NEWS」(Hugh Aynesworth著 小生は初見)を読ませて頂いたところ、J・ギャリスンが著者に宛てた手紙で所在地は、「2700 Tulane Avenue N.O.・・」と有りました。車内で小さく「(やった)」と呟き、一気に肩の荷が下りました。又 訂正が1箇所有ります。ニュー・オリンズの足跡U、#15で「ケリー・ソンリーがビラ配り」と致しましたが、ビラ配りではなく、「ビラ貼りにより市条例違反で逮捕」されておりますので、恐縮ですが訂正かた御願い致します。土田先生 前田様 参加された皆様、ご協力有難う御座いました。来年は是非、全員でダラス 並びにニュー・オリンズへ参りましょう。現地ではJ・ギャリスンが待っているとの事です。(D・フェリーも・・)

井上さん


私には久し振りのオフ会で、非常に良かったです。 高橋さんのレポートには、度肝を抜かれました。貴重な資料になりました。 土田先生の講演もPCを使って、沢山の写真や資料で、完璧な説明で、大変参考になりました。この事実も次回の本に含めて欲しいですね。報告が足元から崩れることになります。うしし。
高橋さんにより、彼が持参していた「世界暗殺事件ミステリー」(新人物往来社)の先生が書かれたケネディのところの最後に、アーレイ・バークが一番怪しいと写真入で説明がある事を指摘され、改めてびっくりしました。高橋さんは、先生が「秘密工作」中で、イニシャルで犯人を暗示された時には直ぐにアーレイ・バークだと判ったそうです。
私自身ダラスには、綿花の買い付けで、 年間住んでいましたので、オフ会には何としても行きたいのですが、毎月、20-24日は決まった作業があって 休めないので行けません。中小企業なので変わりにやってもらう人がいないのです。次回は、会社も辞めているかもしれないので、ご一緒できると思います。皆さんも訪問され、気付かれたと思い ますが、観光地ではないので、出張員やお客があれば、綿花畑とデーリープラザしか案内する所が無く、1日おきには、かの場所を訪れ、皆さんにミステリーなど説明しておりました。 従い、プラザは何百回と訪れました。但し、オズワルド生家、映画館等殆どの関連施設については、現地のアメリカ人から危険地区だから、絶対に行ってはいけないと言われておりましたので 、Dプラザ以外は行った事が無く、これまでのオフ会レポートを見て、羨ましく思っていました。今回は欠席ですが、絶対に行きたいと思ってい ますのでよろしくお願い致します。

堀口さん

13回三島オフ会、皆様お疲れ様でした。今回はいつものオフ会と違って勉強会終了後場所を長岡温泉へ移し、温泉に浸かっての懇親会であり気分的にもゆったりし大いに盛り上がりました。
勉強会では高橋さん自らオープニングパーフォーマーとして膨大な資料を発表して頂きました。最初配られた資料を見てその項目の多さに驚きましたが、その内容の深さにもよくあれだけ調べ上げたものだと感心させられました。ケネディに限らず日本の戦後史も勉強できました。そんな中で、あの教科書倉庫ビル6Fの窓枠はオークションで36千万で落札されたというのを初めて知りまして、という事は何と我々が今まで目にしていた現場の窓枠は本物で無かったと言うことである。それにしても落札者はそんな大金払ってそれをどうするのかその後が知りたいですね。高橋さん、オークション記事ご丁寧に送って頂き有難うございました。またイカゲソパーティーでの高橋さん配布の「ニューオーリンズの足跡」資料も詳しく書かれており大変参考になりました。またその熱い語りに聞き入っておった次第です。
次に恒例の土田先生のレクチャーがありました。内容は「オズワルドは6階にいなかった」あるいは「6階から2階に駆け下りてはいない」「ベーカー巡査の証言がウソである」という興味ある内容のお話で、自分でも大まかな流れはつかんではいるものの、詳細は忘れてしまっているのでいろいろ資料を読み返してみてフムフムと頷く事しきりでした。コーラの件、足音の件、どだいオズワルドが6階から2階へ駆け下りて来るというのは時間的にも無理がありますよね。今回は本当にいい素晴らしいオフ会となりました。前田さんが「こんなに気分良く飲めたのも久々だ」と、この一言に尽きるのではないでしょうか。来年はいよいよニューオーリンズですね。


中島さん

この度は素晴らしいオフ会をご準備いただいた前田さん、土田先生、そして ご参加いただいた皆様どうもありがとうございました。初めてのオフ会参加にあたり、ウォーレン報告書や Conspiracy 本と前田さんのサイトを読み直し、You Tube のJFK映像もあれこれ見て臨みました。
三島市民文化会館の円卓会議室での研究会、そして伊豆長岡温泉での懇親会は内容盛りだくさんで実に愉快で大満足でした。JFK大統領就任演説の映像を見ながら聞く Let Us Begin Beguine! の美しいメロディと Together! のリフレイン。懐かしくも厳かな雰囲気の中、気持ちが高まってくるオープニングでした。富山から参加された高橋さん作成のプレゼン資料「JFK誕生から2012年までの詳細な年表」 と「ニューオリンズ訪問用のガイドMAP資料」はJFKクラブ会員ならではのマニアックな秀作ですね。驚きました。膨大な読書と資料収集と整理も大変でしたでしょうが、嬉々としてパソコンに向かわれ緻密な資料作りに 取り組まれた高橋さんの様子が目に浮かびます。高橋さん、貴重な資料をいただきありがとうございました。
土田先生のご講演『オズワルドはJFK暗殺時に6階にはいなかった!』さすがに大変刺激的な興味深いお話を聞かせていただきました。後で、オズワルドのテキサス劇場での逮捕時とダラス警察署での初めの記者会見時の写真を見直してみましたが、こげ茶色のシャツを着ていますね。ウォーレン報告書に出てくるオズワルドが TSBD からバスで逃走時に遭遇した前家主ブレッソー夫人の証言「オズワルドははだけた茶色のシャツを着ていて、袖に穴があいていた。」は信憑性があるようにも思えてきましたがいかがでしょうか。また最近、会社ビルの階段を健康のため歩いているのですが、6階から2階への4階分の下りの時間はゆっくり歩いても1分もかからず、また全く息切れしません。まして24才の小柄でスリムだったオズワルドは、狙撃後、ライフルを隠して階段を下り2分以内に2階の食堂前に移動 したとしても、息切れもせず十分平穏になっていたのではないかとも思えてきます。ますます深まるオズワルドの謎・謎・謎です。
そして伊豆長岡温泉に場所を変えて、浴衣姿での夕食会と懇親会も実に和気あいあい、かつディープな会話で盛り上がり、皆さんの博覧強記振りに感心しました。
ロックフォードさんが「もうそろそろ寝ましょうか!」とニ度ほど声をかけにこられましたが、 皆さん、深夜まで思い思いに楽しい語らいが続き、ビートルズやロック音楽も流れ、まるで修学旅行のノリでしたね。
翌日オフ会終了後、前田さんのアドバイスに沿い、井上さん、野田さんと蛭ヶ小島公園、 韮山の反射炉、江川邸も散策でき日本の歴史も感じながらとても充実した時間を過ごせました。何ともタイミングよく、翌日、NHK「鶴瓶の家族に乾杯!」で伊豆の国市が紹介されていましたが、とても面白く印象も深まりました。
また次回のプチオフ会を楽しみにしています。

中出さん

三島オフ会に参加の皆様お疲れ様でした。今回はJFKクラブ初の温泉宿に一泊という、昔の社員旅行を彷彿させる企画でありましたが、そこはJFKクラブでありまして完全なるオタク・・・いや訂正、素晴らしき趣味人の集まりで大成功だったと思います。前田さんには、三島での久し振りの開催と伊豆長岡温泉宿泊のお骨折りに感謝致します。そうして土田先生には毎回素晴らしい講演を有難うございました。前回の三島オフ会では異常な程の大渋滞に巻き込まれての大遅刻を演じた経緯があるので、今回は品川駅で土田先生、鈴木さん、堀口さんと待ち合わせてJRで三島へ上陸しました(笑)6年振りの三島駅に到着後、名古屋の中北さんも合流して、昼食を食べてから今回の勉強会場である三島市民文化会館へと向かいました。さて、今回の三島市民文化会館での勉強会は前田さんと土田先生の講義と思っていたら、富山から参加のTexas Joeこと高橋さんがお話しされるとのことで、昨年から始まった一般会員の発表が引き継がれたカタチとなり、言いだしっぺのロックフォードとしてはとても嬉しかったのです。ただ発表前ロビーで高橋さんにほざいた一言は決してプレッシャーを掛けるためでは無かったのです。高橋さん本当でっせ(笑)それにしてもあのA3用紙10枚にビッシリな資料には驚かされましたが、コツコツと勉強なさった高橋さんの努力には脱帽でありました…いや本当にお疲れ様でした。そうして土田先生の講義内容である「オズワルドは6Fにいなかった!」はまたまた先生の鋭い持論に感服した次第であります…数々の疑問や謎が出て来ますが「オズワルドは最初から2階にいた!」は驚きでした。やはり映画や再現フィルムで映像化されたモノを見続けているとオズワルドが6階から2階へ移動したと無意識のうちにインプットされてしまうようです。これは私の考えですが、あの時オズワルドはカルカノ銃を撃たなかったけれども、3発の空のカートリッジとカルカノ銃を指定された場所に置く役目もあったのかな?とッ考えております。だから狙撃時間より早い時間に6階にいてカルカノ銃と空のカートリッジを置き、その後で2階に行き次の指示通りの行動をしたと思っておるワケですが…そんなことしたら自分に容疑が掛かるのは当然だと気づくと思いますが、下級エージェントは上部から指示されたことはやるんじゃないかと?さて勉強会終了後は車組と電車組に分かれて2次会開催場所である伊豆長岡温泉へ移動しました。ただ私は前田さんの車を運転して旅館まで行ったのですが、けっこう渋滞してたのと慣れない土地の夜のドライブで、旅館到着後は宴会開始まで30分以内というタイトなスケジュールで温泉に入り懇親会へと突入したのでした。ここからは宴会〜イカゲソパーティと延々と続きまして、よく飲み歓談して楽しい時間はあっという間に過ぎました。前田さんも言っていますが、私も後半の記憶が定かではない。気がついたら朝でした(笑)今回のような温泉旅館で一泊しての懇親会は以前にも考えたことがあったのですが、やはりイイモノですね。修学旅行のような雰囲気で皆さん楽しまれたようで…これは再来年も有りですね。その時の幹事さんはTexas Joe高橋さんですかね〜ッ!時に前田さんのお手製写真ですが、私あの晩どこかに置き忘れてきたようです…帰宅したら無いんだもん。さていよいよ来年はダラス&ニューオーリンズですね〜。その前に2月頃に新年会を企画しますので、皆さんその時また会いましょう♪