2004年4月17日JFKクラブ国内オフ会が三島市において開催されました。例によってケネディや暗殺事件の研究者の先生方を囲んでの勉強会が開かれましたが(第三回国内オフ会の項目参照) この席上、ケネディ暗殺事件関連の著作や重要文献の解説等で有名な、城西国際大学教授 土田 宏先生のご講演がございました。 「まだある疑問 : ケネディ暗殺事件の証拠」と題した約一時間半の講演は、参加者にとって衝撃的なものであり非常に興味深い内容の講演でありました。冒頭の先生のお言葉にありましたように「アメリカにおける最新事件研究成果事情を紹介・・・」と言うことでお話下さったのですが、是非皆様にも共有していただきたく、先生のご許可をいただき項目としてアップいたします。ただし、講演内容は多岐にわたっております為、全てをご紹介できない事をご承知頂く事と共に、その抜粋基準および論旨の展開方法は管理者の「主観」と「考え方」に基づいて記述しており、土田先生の講演を忠実に再現したものでは無いことを事前にお断りいたしておきます。管理者の抜粋基準につきましては文中に記載いたしますが、決して先生の論旨に変更を加えたりしたことのないものであると信じます。

衆人環視の暗殺事件

ケネディ大統領暗殺事件の特異性はいったい何処にあるのでしょうか?もちろん事件の複雑さや不明瞭な事後処理、さらには万人が十分納得するような結論が提示されていない点にあると言えます。加えてアメリカ国民、否、世界中の人々の意識変化の時代に起きたことが拍車をかけた事も事実でしょう、一世代前の事件であったならば、政府の公式見解にプロテストするなどと言う事は考えられなかったでしょう。しかし、この事件はそういった意識変化の時代の中で起こったのです。それらプロテスタント(私も含めて)の最大のよりどころとなったのが「映像」でした。20世紀は「映像の時代」とも呼ばれております、その「映像」がふんだんに存在することが、この事件のもっとも特異な部分であると言わざるを得ません。当然ながら数十万の市民の中には、大統領を迎えるにあたって何らかの記録メディアを持参した人々がいました。もちろん、同行する報道陣もその例外ではありませんでした。それらの人々の前で悲劇は起こったのです。そして数百いや数千枚の映像や画像として悲劇は記録され、流布されていったのです。
「映像は真実を映し出す!」とは言い古された言葉ですが、その場で現実に起こった事象を検証するには「映像」が一番であることは誰しもが認めることだとは思います。しかし現実には、そうとも言えない事も多く在ることを我々は知っています。たとえば「心霊写真」などと呼ばれるものです、これらの多くは「暗示」や「焼き付け」といった心理学的手法によって導かれている事が大多数と言えるのではないでしょうか。(決して全面否定するものではありません) さらには科学の進歩が「映像が虚像を作り出す」事も可能にしたのです、1963年当時の科学技術がどの程度のレベルであったのかは解りませんが、現代においてはこれらの科学的手法は極めて日常的に行われていますし、受け手の側もそのことを十分に承知したうえで映像を見ているのです。これら映像を絶対視する事によって起こる諸問題が噴出したのがこの事件の研究史の一部であったのではないでしょうか。

実行犯は専用車の中に!

数多くの記録写真のなかで、当時衝撃的な真実として発表され、現在でもそれを信じる人が多いのがこの写真でしょう。ご存知の方の多いこの写真は、有名な「ザプルータフィルム」と呼ばれる8mm映像の被弾の瞬間である313コマ目です。解説者はこう言います。「ほら、よーくご覧ください。専用車の運転手ウイリアム・グーリアの左腕です。振り向きざまに拳銃を大統領に向けて発砲している瞬間がはっきりと映し出されているではありませんか、左手を上げて狙いを定め拳銃を握り締めている姿は動かすことのできない証拠です」と、これが私が習った心理学的手法で言うところの「焼き付け」です、最初は何気なく見ていた写真に特別な意図を持った解説がなされると、次回からはその解説内容が焼きついているため、その様にしか見えなくなってくるのです。このような事例はこの事件に限らず多々存在します。ちなみに、もう一枚写真をご覧ください。右の写真は同じザプルータフィルムの413コマ目にあたります。ここでは何の解説を加えずに皆様方に見ていただきたいと思います。「このコマ写真のなかにライフル銃を持った実行犯が、はっきりと映し出されている」と言うのです。私は「すぐに分かります」と言うよりこの写真を見るたびに「焼き付け効果」によってそこにしか目が行かなくなっているのです。現場を訪れたことのある方でしたら、この場所に潜み発砲するなどと言うことは考えられないし、もしそうだとしても彼は後で身動きできない状態になってしまいます。 次に、これまた有名な写真をご紹介しましょう。事件直後グラッシノールと呼ばれる丘の裏手に広がる操車場に止まっていた貨物列車のなかで拘束された人物達の画像です(左写真)この人物をハワード・ハント、フランク・スタージスであると断じる研究者も存在するのです。この二名と事件とのかかわりについては別項にて記載してありますのでご参照いただきたいのですが、もし事実これらの人物が本人であったならば事件の展開に多大な影響を及ぼすような大発見なのですが。さらに、もう一枚の写真をご覧ください(右写真)この中になんとブッシュ氏がいるというのです。ジョージ・H・W・ブッシュ。合衆国第41代大統領ですが(今のブッシュではありません)事件当時はCIAの高官でした。諸説の中にはこのブッシュこそがケネディ暗殺の黒幕であると言う説もあります。その他にも TSBDの前に立つジャック・ルビーや群集と共にグラッシノールを登るルビーを写したという証拠写真?もあります。これら写し出された人物が本人であるかどうかは、親しくお付き合いさせていただいた事がありませんので真偽のほどは解りませんが。そうそう、先ほどのブッシュ氏。ほとんどの方は解らないと思います。ここでご披露しましょう、写真左端ポケットに手を入れてたたずむ人物がブッシュ氏です(これが暗示です)そう言われてみると、そのように見えてくるから不思議なものです。ここまで書き綴った文章をお読みいただければ、これら画像による証拠物件に対する私のスタンスはお解りいただけると思います。

証拠の捏造

画像や映像による証拠物件については前述のように、もうひとつ問題点があります、それは画像処理技術の進歩による「虚像の捏造」です。現代においてはデジタル処理技術の飛躍的な進歩によって極めて一般的な技術となり、ちょっと勉強しさえすれば誰でもが架空の画像や映像を作ることができるようになっています。しかし、1963年当時の技術では、まだまだ一般的とは言えず、当時のSF映画などを現代の感覚で見るとその技術力の低さははっきりしています。それでも、それなりの技術と機材さらには資金さえあったならばある程度のものは作り得たものと思われます。たとえて言えば、ここに「世界でもっとも研究し尽くされた写真」が存在します。オズワルドの「バックヤードフォト」と呼ばれる一連の写真です。有名なこれらの写真に写し出された人物が、はたしてオズワルド自身なのか否かに関する論争が起こり、この問題のみで一冊の大著が上梓されるほどの研究対象となっています。この時代「写真」は「実をし出す」ものではなくなり始めていたと言えます。チョット横道に逸れますが、この写真を示されたオズワルドは瞬時に「これは合成写真だ!」と言ってのけたと言われています。私は同じオズワルドが言い放った「just a patsy ! (身代わり、囮)」発言と共にこれら発言のタイミングや状況から推測してオズワルドは「事件に深く関わってはいたが、実行犯では有り得ない」との考えに至る重要な発言と考える一人です。

ザプルータフィルムの謎

ここに一本の映像があります。世に「ザプルータフィルム」と呼ばれ衝撃を与えた映像です。この映像はダルテックスビルに事務所を置いた服飾職人エイブラハム・ザプルータ氏が、彼の持つベル・ハウエル社製の8mm映写機で撮影したものとされています。この映像は事件の一部始終をフィルムに納め悲劇を後世に伝えるものとして、誰しもが一度は見たことが有るのではないでしょうか。そして、このフィルムは「ウオーレン委員会」はもちろんのこと、事件研究者達に数々のデータを提供し、批判・反批判の材料・論拠となり、映し出された人物達の一挙手一投足・一コマ一コマが分析され、様々な推測や結論を導き出してきた事件研究のバイブルのようなものなのです。少なくとも、事件研究の数多くの著作において「ザブルータフィルム」抜きに語っている著作は存在しないと言っても過言ではないのですが、そのバイブル的絶対証拠であった「ザブルータフィルム」に、近年、疑念が生じ始めていると言うのです。このテーマが今回のオフ会での土田先生講演の主題であったのです。
まず事件直後にフィルムのたどった道を説明しておきましょう。ザプルータ氏は未現像のフィルムをシークレットサービスのソレルズ氏に手渡しました。ソレルズ氏はダラス市内で現像処理をし同時に5本のコピーを作ったとされています、したがってこの時点でオリジナルとあわせて合計6本の「ザブルータフィルム」が存在したことになります。これらフィルムのその後の行方は以下のようになります。

@ オリジナルフィルムはソレルズ氏の上司であるケリー氏の手を通じてFBIに渡されSSに戻った(行方不明)
A H・L・ハント氏へ (売却?)
B ライフ誌社主ジャクソン氏個人へ (10万$で売却)
C ザプルータ氏個人所有のものを後日「ライフ誌」に5万$で売却
D ザプルータ氏個人所有のものを シークレットサービスに提供
E ザプルータ氏個人所有のものをザプルータ氏死去後ザプルータ家から国立公文書館に寄贈

ところが近年オリジナル未現像フィルムをニューヨークのコダック本社で現像したという記録が出現したのです。となると、オリジナルの「ザブルータフィルム」が二本存在することになってしまいます。(最終章参照)当然のことながら色々なところにちらばった「ザプルータフィルム」はコピーにコピーを重ねられたことは疑いありません。これらコピーの繰り返しはオリジナルのコピーがどれであったかを曖昧にさせ、当時のコピー技術の稚屈さとあいまって数々の「ザブルータフィルム」を出現させてしまったのです。現在、一般に入手できる「ザブルータフィルム」は4種類あります。 @MPI社版 AGroden版 BMacmillan版 CLifton版の4種類です。

 
MPI社版 Macmillan版
Groden版 Lifton版
微妙な構図の違いや伸縮の相違は一目瞭然です。もちろん前述の通りコピー技術の稚屈さがなせる事と言ってしまえばそれまでですが。それでは「ザプルータが写したものかどうか?」について検証してみたいと思います。「ザブルータフィルム」の流れのなかでお気付きかと思いますが、ザプルータ氏自身は自分が撮影したオリジナルを自分で現像していません。極論すればザプルータは間違いなく自分が撮影したフィルムであることを証明できないことになります。はたして現在「ザブルータフィルム」として流布されているこのフィルムはザプルータ氏自身の手で撮影されたものなのでしょうか?左の写真は事件当日チャールズ・ブロンソン氏が撮影した写真で1978年の下院に設置された調査委員会の活動の中で新たに発見された写真です。ザプルータフィルム230コマ目にあたり、大統領が喉に手をあて反応が顕著に現れた時点に相当します。事件の瞬間の目撃者達の配置がわかる重要な写真として有名になった写真なのですが、当然ながらザプルータとその秘書マリリン・シッツマンの姿も映し出されています。この二人の部分を強引に拡大した写真がこの画像です。しょせん印刷物の拡大ですからモアレや網点ばかりが強調されてしまい鮮明ではありませんが、色々な想像が可能な写真ではないでしょうか?冒頭に述べた「焼き付け」にならないことを祈りますが、ザプルータの前にシッツマンが立っているように見えませんか?もう一枚、右の写真はフィリップ・ウイルス氏が、大統領に初弾?が命中した直前に撮影した写真です、これにもザプルータ達が写っています。拡大写真はこの画像です。明らかに8mmを構えていますが二人の位置関係が前の拡大写真とは異なるように見えます。他にも数多くの写真にこの二人が写っているのですが、二人の位置関係は様々に変化しています、これ自体は、不思議でもなんでもないかも知れませんが、実際にあの狭い場所に立ったことのある方でしたらこの不思議さはご理解いただけると思います。人はこれを「ザプルータ・ダンス」「ザプルータ・ワルツ」と呼んでいます。是非、皆さんでじっくりと見ていただきたいと思います。さらに、ブロンソン写真の拡大では、ザプルータはカメラのファインダーを覗いていなかった事は間違い無い事の様です。当時のベル・ハウエル8mmカメラは現代のようなプレビュー装置は有りません。念のため申しておきますがこの写真拡大は単純に拡大処理をしただけで他意をもって修正を加えたものでない事を付け加えておきます。

検証ザプルータフィルム

冒頭でも述べましたように私はなまじ心理学のイロハを勉強したが故に極めて懐疑的な人間になってしまいました、今まで各種の参考文献や資料を目にするたび「まずは疑ってかかる」事が習性となってしまったのです。現実に過去の映像から読み出された資料や証拠がすべて正しいとすれば、事件の瞬間のグラッシーノール上は交通整理が必要なくらい人の山になってしまいます。(笑) そんな私は、今回の土田先生の講演後、先生の指摘された数多くの疑問点を、数少ない資料や未熟な技術で検証してみたのです。(私の習性です)中には、私個人的には、ご指摘の様には見えない事や私の環境や技術では確認不能な事例も有ったことも事実です。しかし「間違いない事」も存在したのです。指摘された事がすべて事実である必要はありません。もし「ザプルータフィルム」が何らかの裁判における重要証拠であった場合、証拠自体に何らかの疑義が存在すれば、その証拠能力は無くなるのが裁判の原則です。これから、「私自身の検証」によって確認された事実を明らかにしていきます。(もちろん大部分は土田先生の講演で知った事ですが)まず左の写真をご覧くださいザプルータフィルム408コマ目の画像です。事件の瞬間 コマース通りは大渋滞でした、まったく車は流れずほとんど停止した状態だったのです。ザプルータフィルムはその渋滞に巻き込まれた一台のトラック(写真中央)を写し出しています。トラックにはシートが被せられていることがはっきりと写っています。このトラックをほかのカメラマンが偶然に最後の銃撃から約20秒後に撮影していたのです。(右写真)写した人物はモーターゲートに同行し報道車列の二号車に乗っていたUPIのカメラマン フランク・キャンセラーでした。写真右手の位置に例のトラックが映し出されています、そのトラックの部分を拡大した写真がこちらです。いかがでしょうか、わずか20秒でトラックのシートを剥がし一人の人物が荷台に乗り込んでいます、しかも、荷台には荷物らしきものまでが写っています。少なくともキャンセラーは自分の撮影したフィルムを捏造したり、変造する必要性のまったく無い人物であることは間違い有りません。読者の方々の中には「トラックの荷台にシートが被されている」ことに疑問を呈する方もいらっしゃると思います。「俺にはシートが被さっているようには見えない」又「荷物が有るようには見えない」と。それであれば20秒の時間に異変に気付いたトラック運転手が飛び乗って事態を見ていた事もうなずける事です。それでは次の画像はいかがでしょうか?この写真(左)は同じくザプルータフィルムの367コマ目にあたります、まさにクリント・ヒルが専用車に飛び乗る瞬間のコマにあたります。その向こう側にはジャック・フランゼン一家(左側3名)と男性一人が映し出されています。都合4名の人物がこの位置に立っていたことになります、まずこのことをご確認ください。
ご承知のように事件の瞬間を撮影した8mmフィルムはザプルータフィルムのほかにマッチモア、ニックス、フューズの三本があることはよく知られています。この中の「ニックスフィルム」はダラス市の公務員オービル・ニックス氏がメイン通りの南側、広場入り口のパビリオンから撮影したものです。ちょうどザプルータフィルムの反対側の東側面から撮影された事になります。当然ながらこのニックスフィルムにもフランゼン一家は映し出されています。ザプルータフィルムの367コマ目に合致する部分には一家は写っていませんが、その約2秒後にあたるコマ写真が右側のコマになります(写真左の一団がフランゼン一家になります)この写真では、はっきりと解りませんのでさらに1.5秒経過した時点のコマ写真がこちらです。手前の二人は位置関係からしてニックス氏とフランゼン一家の間に立っていてザプルータのカメラ視野には入らなかった人物と思われます。さあ、その前提で道路端には何名立っているように見えますでしょうか。私には5名に見えるのですが。中には4名に見える方もいらっしゃるでしょう、ではその方にお尋ねします、4名であるならばニックスフィルムに写った左端の女性はフランゼン夫人でなければなりません。服装にご注目ください、ザプルータフィルムでは明らかにタイトスカートもしくはスラックスですが、ニックスフィルムではフレアスカートではないでしょうか?
次に左の写真です。またしても運転手ウイリアム・グーリアの登場ですが、ザプルータフィルム300から304コマ目の拡大写真です。特に302コマ目から303コマ目までの動きにご注目ください、300から301・302までの動きの移動幅や同じく303から304までの移動幅に比べてその移動量が比較にならないほど多いことにお気付きかと思います。この間の数コマが抜け落ちているのではないかと言われる部分です。もうひとつ気になることがあります。運転席に座って300から304までの一連の動きのようにこれだけ首が回るでしょうか?(私は他の理由で回りませんが)さらにもうひとつ、彼は何かの異変に気付いて後ろを見ようとしたのです、彼は高度に訓練されたシークレットサービスの職員です、最初に見ようとするのは右後方に居る大統領のはずです、このように体を左回転させる事は無いと思われます。左利きか右利きかによって多少影響されますが。駄目押しのもうひとつ、冒頭の「グーリア犯人説」の313コマ目の写真をご覧ください304コマ目から約1秒後です、正しく?右後ろを見ています。と言うことは302から303ではまさに0.16秒以内で体を反転させたことになります。土田先生のお言葉を拝借すると「なんじゃこりゃ!」と言うことになりますネ。一連のこの「首と体の動き」を説明できることができるでしょうか。最後に二枚の写真を、左がザプルータフィルム335コマ目の悲惨なクローズアップ画像です。銃弾によるダメージがはっきりと写っていることがお分かりでしょう。右の写真は一般に流布されている撮影日時場所の解らない遺体写真?です。読者の皆さんがご自分の目と感覚でじっくりとご覧いただきたいと思います。もし「何か変だな?」と思われたとしたら、貴方は「ケネディ暗殺事件・疑惑の世界」の扉を開いたことになります。この他にも先生は数多くの事例を挙げられました。一部列挙しますと「走る女」として有名なトニー・フォスターさんの背の高さの問題です、他の間違えようのない構造物(ここでは街路灯ですが)と彼女の画像とを「遠近透視法」の手法をもって計測すると、彼女はとてつもない大女になってしまう事、「モアマン写真」の撮影者として有名なメアリー・モアマンさんと友人ジーン・ヒルさんの立っていた位置の問題です。これらの事例は私のコンピュータ環境や技術では実際に検証することはできませんでした。

修正ミス?

私は今までに述べてきた疑問点に一つ一つ反論を加えてきたつもりです。実は、とりもなおさず私自身の声なのです。そんな私に間違え様のない画像への修正の痕跡(もしくは修正ミスの跡)が確認されています。

上の写真、左は MPI社版 のザプルータフィルム212コマ目 右の写真は213コマ目の写真です。一応、念のため解説しますと、「走る少女」として有名なローズマリーさんの位置をご覧ください。 212 では彼女は伴走警察官ビリー・マーティンの右側に写っています。ところが 213 ではマーティン警察官とロバート・ハージス警察官(左側の白バイ)の間に写っているのです、それに道路標識の支柱を目安として奥に写るモニュメントの構造物の位置が明らかに違います。212コマ以前、以降のフレームでは位置関係の異常は見受けられませんので 212 は修正ミスということになるのでしょうか?ちょうど画面の上部に走る黒線の場所で画像が右方向にずれていることになります。

更なる疑惑へ

これらの事例から導き出される事は「ザプルータフィルム自体までもが変造された可能性が在るのでは?」という事です。このことは、今まで絶対的証拠として引用され、分析から得られた「新事実」と呼ばれるものすべての論拠が、極めて薄弱なものになってしまう事を意味します。ただ問題は、いったい何時の時点で何故このような処理がほどこされたかという点です。前述のようにオリジナルからコピーされたフィルムは事件の翌日にはザプルータ氏の手元にありましたので、この間にこれほどの処理がなされたとは考えにくいのですが、数多く出回ったコピーにコピーを重ねたザプルータフィルムの「元」になったものが、いったいどの「オリジナルコピー?」なのかが問題となるでしょう。もちろん今となっては確認のしようは在りません、ただ言えることは「ひょっとして」本当の意味での「オリジナル」であるはずのソレルズからケリーに流れて「行方不明」となったと公式にはなっているものが「本当のオリジナル」であるとするならば、是非比較検討してみたいものです。少なくとも、現職合衆国大統領の暗殺事件の現場映像なのです「それは、どっかに行っちゃいました」で済まされる程、杜撰な扱いを受けていたのでしょうか?裏返せば、不都合があるので「行方不明」で済まそうとしていると勘繰られても仕方が無いのでは?と思うのは私だけでしょうか。最後に先生はひとつの文献をご紹介になりました。それによると、ザプルータの右後方で8mmカメラを構えている人物が写真に写っているというのです、写真はウイリアム・ベッツナー氏の撮影した「ベッツナー写真 #3」と呼ばれるものの中に在りました。今回はその解説用写真を転載するに留めたいと思います。また一人グラッシノール上に交通整理が必要な人物が現れたことになりますが。
今まで述べてきたことは、すでに日本においても周知のことも含まれてはいますが、初めて公表されたことも在ります。間違いなく「本邦初公開の衝撃的新事実!」です、”たけしさん”に教えてあげようかしらん?最後に解る方だけに向けたジョークを 「週刊新潮は明日発売で〜す」 (大爆笑)
SOURCES
"Tha Great Zapruder Film Hoax" James Fetzer © 2003
"Pictures of The Pain" Richard Trask © 1994