1977年ウオーレン委員会報告から13年の歳月が流れていた、この年一つの特別委員会がアメリカ合衆国下院に設置された、「暗殺問題調査特別委員会」この委員会こそ、1964年のウオーレン報告以来国民のあいだに燻るケネディ暗殺の疑惑に答えるべく設置された調査委員会である。そもそも、公式の報告がなされた事件に関して、同じ機関が再調査の必要ありと認める事自体が画期的な出来事であった。国民はこの調査委員会に注目した。そして2年の調査期間を経て、1979年3月、調査特別委員会最終報告書が発表されたのである。

発射された銃弾は”4発”

この調査でひとつの重要な証拠が発見されている。事件当日大統領のパレードを警護していた、警察のバイクに搭載された無線機のテープが解析された。このテープはウオーレン委員会でも解析されているが、その時の結論はビルにこだましたた音が入ったものと結論されたが、十数年の科学の進歩はこの結論を否定した、結論は”事件当時、デイリー広場での銃器からの発射音は4回記録されている。”と言うものであった、しかし残念な事に、そのタイミングが特定できなかった。凶器解析をお読みになった方にはご理解いただけると思いますが、”5.63秒の壁”はあくまで、カシワの木陰から大統領の姿が視界に入った210コマ目から、頭部に被弾した313コマ目の間の問題であり、この間に3発以上の射撃は不可能なのである。したがってこの4発の銃声のタイミングがいったいいつの時点での銃声であるのかが特定されない限り決定的な証拠にはなり得ないのである。しかし、ウオーレン委員会が3発の射撃の根拠としていた、教科書倉庫ビル6階に残された空の薬莢との関連性は完全に否定されたのである。そして、暗殺調査委員会は明確に述べる、「当委員会 は以下のように結論する、科学的な音響分析証拠によると、ケネディ大統領は二人の狙撃者に撃たれた可能性が高く、その銃弾はグラッシーノールから発射された可能性が95%以上の確率で否定できない。また、他の科学的証拠もこの可能性を否定しない。」と。

調査委員会でのワイズ教授の証言

陰謀はあった!

下院暗殺問題調査特別委員会の報告書の冒頭のページには、今回の調査の結論が列記されている、結論の第一は犯人はリー・ハーベイ・オズワルドであったとの結論、第二が前出の”二人の狙撃者”の結論、そして、第三番目には次のように書かれている。

当委員会は集められた証拠を基にして、ケネディ大統領は、ある種の陰謀の結果暗殺されたと信ずる。当委員会は、もう一人の狙撃者を探し出す事は出来なかった。また、陰謀の中身や規模についても知る事は出来なかった。
1、当委員会は集められた証拠を基にして、ソビエト政府が暗殺事件に関与していなかったと信ずる。
2、当委員会は集められた証拠を基にして、キューバ政府が暗殺事件に関与していなかったと信ずる。
3、当委員会は集められた証拠を基にして、反カストロ団体グループとしては暗殺事件に関与していなかったと信ずる。しかしそれら団体のメンバーの中の何人かが個人的に関与していた可能性は消し去れない。
4、当委員会は集められた証拠を基にして、組織犯罪がグループとしては暗殺事件に関与していなかったと信ずる。しかし、メンバーの中の何人かが個人的に関与していた可能性は消し去れない。
5、シークレット・サービス、FBI,そしてCIAは暗殺に関わってはいなかった。


この様に、公の調査委員会がはじめて複数の狙撃者の存在を認め、その裏には陰謀が有った事もみとめたのであった。これは大きな一歩である、さらに委員会は特に亡命キューバ人と組織犯罪のメンバーに焦点を絞り、一部の人間の関与の可能性を認めたのであった。

数々の矛盾

暗殺問題調査特別委員会の結論は、結局他の可能性を指摘はしたが、オズワルドの単独犯行をも否定せず、ウオーレン委員会の結論に従った形となった。これは、公の調査機関としてはいたしかたの無い結論であったと思われる。しかし、私は次のように考える。委員会のメンバー達は、極めて高い確率で、オズワルドの単独犯行の可能性を否定したかったのではないだろうか?複数の狙撃者の可能性、陰謀の存在の遠まわしな肯定、そして以下に述べる委員会の困惑の表現等などが委員会のメンバーの苦悩を如実に物語っているようにおもわれて仕方が無い。
報告書はオズワルドのとった一連の行動、ソ連への亡命、親カストロの宣伝、メキシコでのキューバ査証の取得未遂等などすべて額面通り受け止めて、彼の親共姿勢が暗殺の動機の一部であると述べている。しかし、報告書のなかには、明確にオズワルドとデビット・フィリーの関係を肯定している。この矛盾にたいして委員会はつぎのように述べる。「当委員会は、強烈な反カストロ感情を抱くフィリーが、親カストロ活動をするオズワルドと明らかな交友関係にあったと言う事実に関して困惑を隠せない。」さらには、オズワルドとガイ・バニスターとの関係に関しても委員会は困惑を隠そうとしない。キャンプ・ストリート544番地がバニスター事務所と実は同じビルであったことは被疑者解析で詳しく書いたが、この反共の闘士であるガイ・バニスターとオズワルドの緊密な関係を、バニスターの当時の秘書によって証言された事も、忠実に驚きを隠さずに記述している。

ジャック・ルビー

委員会はジャック・ルビーに関してつぎのように述べる。「オズワルドが殺害された事の意味は大統領暗殺を理解する上で非常に重要である。これには、いくつかの理論的可能性が考えられる。
1.オズワルドは陰謀のメンバーで、同じく陰謀のメンバーであったルビーによって口をふさがれた。
2.オズワルドは陰謀のメンバーであったが、ルビーは違った。オズワルド殺害は彼の言う通り、個人的理由であった。
3.オズワルドはルビーが知る限り陰謀のメンバーではなかった、しかし、ルビーと彼の仲間は正義を自分の手で執行する為にオズワルドを殺害した。
4.ルビーもオズワルドも、単独かそれとも一人か二人の仲間の援助で行動した、しかし、陰謀は彼らだけで運ばれ、より大きなスケールの物ではなかった。

結果的には、委員会は2番の結論を支持するのであるが、ルビーと組織犯罪との係わりに関して、ウオーレン委員会以上に深く追及している。残念ながら結論としてルビーと組織犯罪との関係を証明するに至らなかったが、その可能性は否定していない。「当委員会によせられた証拠によると、ルビーは多くのコサ・ノストラのリーダー達と直接的間接的に知り合いであったが、彼自身は組織犯罪のメンバーではなかったことが示された。加えて、ルビーはダラスの犯罪世界のメンバー達とも、知り合いであった。」

マフィア組織への追及

委員会は暗殺事件を裏で取り仕切ったのは、組織犯罪界のリーダーの一人であった可能性を強く示唆している。その人物に関して委員会は三人の人物の可能性を上げている。カルロス・マルセロ、サントス・トラフィカンテそしてジミー・ホッファーである。(暗部解析参照)マルセロに関しては、彼が陰謀に加担したと言う直接的な証拠を挙げる事は出来なかったが、彼は大統領を暗殺する動機、手段、そして機会をもちあわせていた。と弾劾する。さらにトラフィカンテに関しては、彼自身、知人に暗殺を臭わせたことを紹介して、マルセロと同様に動機も手段も持ち合わせていたと断じて、次のように述べる。「当委員会は、諸処の証拠は細心の注意を持って評価する義務が有る事を考慮にいれて、サントス・トラフィカンテが大統領の暗殺を企てたとは思わない。しかし、集められた証拠をもとに考えると、彼がそれに参加した可能性は否定できない。」要するに、証拠が十分ではない、と言う事なのである。三人目のジミー・ホッファーに関しては、前の二人に比べると、若干ゆるやかになる。「ホッファーは非常に感情的な人物で、大統領とその弟である司法長官を憎んでいた。大統領が死んだ時も、彼は悲しいとは思わないと公の席で語っている。しかし、ホッファーは犯罪組織のリーダー達のような殺人者ではない。彼らとのつきあいはあるが彼らと同格に論ずることはできない。」と述べている。
組織犯罪に対する追及はウオーレン委員会のそれと比べると、数段舌鋒が厳しいが結局のところ「証拠がない」と言う事でその矛をおさめている。

特別委員会の功罪

ウオーレン報告から15年の歳月を経て発表された、特別委員会の報告はケネディ暗殺事件に関しては261ページを費やしている。(キング牧師暗殺事件に関しては248ページ)ウオーレン報告書のボリュームに比較すると極端に少ないのが対照的である。しかし国会議員の調査という極めて限られた調査権限のなかでは、ウオーレン報告に比較すると現実的な可能性にちかずいている事は否定できないと私は思う。オズワルドの単独犯行と言う結論こそ変わっていないが、種々の可能性を断定的に表現している。前述のように、歴史的な判断を下さなければならなかった議員達の苦悩を垣間見ることができるのである。報告書は後段で以下のように述べる。

「当委員会が集めた科学的証拠は、大統領暗殺には一人以上の人間が関わっていた高い可能性を示している。この事実は真っ直ぐに受け入れなければならない。そして、この事実はこれまで真実と考えられてきたいろいろな事柄が、再検討されなければならない事を意味している。さらに、当委員会によるオズワルドとルビーの調査は、両者の関係がさまざまな形とっており、究極的に暗殺の陰謀へと発展していった可能性を示している。オズワルドもルビーも1964年の調査時(ウオーレン委員会)に考えられていたような一匹狼ではなかったことがはっきりと判明した。しかし、当委員会はもう一人の狙撃者や陰謀の深さと規模などについては、確固とした形ではつきとめる事が出来なかった事を率直に認めざるを得ない。」

この一文に委員会のメンバーの意地を垣間見る事が出来る。私はこのように考える。委員会は確実に核心に近いところまで迫る事ができていた。しかし、それを公式の報告書として発表するには、まさに必要以上に絶対的な証拠を掴まない限り不可能であったと思う。これは私も含めて、人々が推理をするゲームではなかったのである。
アメリカ合衆国下院暗殺問題調査特別委員会は、オズワルド以外の狙撃者がいて暗殺は陰謀であったという結論を出した。これにより、ウオーレン委員会報告の歴史的ウソの一部が崩された。このことによって、国民、いや世界の人々がケネディ暗殺事件をまったく違った角度からみる絶好の機会が与えられたのである。事実、この報告書が出て以降ケネディ暗殺事件の研究は以前にも増して活発になったのである。